GI学会で感じたトランスジェンダーの多様性と包括性

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    乙女塾

3月にGI学会へ行ってまいりました。参加するのは何度目かなのですが、トランスジェンダー女性当事者から見ても当事者の幅の広さを感じて、記事にしようと思い立ちました。

トランスジェンダーは包括的な意味をもつ表現

トランスジェンダーとは、何らかの形で性別移行をする者すべてを包摂する用語であり、その中での多様性は多岐にわたります。 一方、GID学会改めGI学会は「性別不合学会」ですから「性別不合」に対象が限定されるとしても、「性別不合」の現れ方は多様であり、それに対する対処(治療)も多様であるように感じました。

具体的には身体的違和の程度。対処としてホルモン治療を望むか、SRSを受ける意思があるか。SRSを行うにしても造膣を望むか。それ以前の問題としてセクシャルアイデンティティーのスペクトラムはどの程度の位置にあるのか。改名や戸籍上の性別変更を望むのか。多数の要因があり、それぞれが境界の曖昧なものであるから、その多様性は計り知れないほどに広いことを痛感しました。

トランスジェンダリズム・トランスセクシュアリズム

シンポジウムの演題に「シン・トランスジェンダリズム宣言」との表題がありました。これにはトランスジェンダリズムという語を再定義しようという思惑を感じました。「シン」とは、映画「シン・ゴジラ」に由来し、「本当」のトランスジェンダリズムを探ろうということなのだそうです。

その「トランスセクシュアリズム」についても、「本物」「偽物」といった議論が示され一様ではないことが明らかにされました。

インターネットでも良く巻き起こるのが「真のトランスジェンダー」論争です。定義がその人その人で曖昧であり、自分が思う当事者像と違う当事者がいると「偽物」と議論になりがちなのですが、それ以上に当事者の幅というものを感じました。

手術要件について

現在、性別変更については、「最高裁による違憲判決」により、手術要件は空洞化しています。つまり、SRSをしなくても性別変更が認められる事例が増加しています。

しかし、SRSが身体的違和を軽減する効果に変わりは無く、手術を受けるものが依然として多いです。そこに性別不合の多様性の奥深さがあります。戸籍上の性別変更をどう捉えるのか?個人差が大きいです。

自分は何もの?

その広範な多様性の中で、「自分はどこにいるのか?」自己認識することが難しい。「自分は何者なのか」という哲学的な問いが重くのし掛かった2日間でした。

社会的にも身体的にも「自分は何がイヤなのか」そして、「それをどうしたいのか」。その結果としてどのようなカテゴリーに属するのか。

ひょっとして、自分は当事者の中でも類似する事例がなく孤立的な存在なのではと思うと、猛烈な不安に襲われます。

一体自分はなんなんだろう。やはり、トランスとはかくも面倒なものであると感じました。

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