高齢での性別適合手術(中編)~2度目の再アタック。ガモン病院へ

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    乙女塾

6月に行われたSRS交流会で登壇し自らの体験談を話してくださった古田ヨシミさん。

60歳という年齢で性別適合手術を決意し、一度は病院から検査でNGをもらった彼女が二度目に渡航をしてSRSを終えるまでをレポートします。

今回は中編。ガモン病院で手術前の検査を行った結果「手術をする事はできない」として日本へ帰ってきたヨシミさんのその後です。
(インタビュワー:ふみか、取材日:2022年7月15日)


ーー(乙女塾編集部)ガモン病院での手術前の血液検査で手術が不許可になってしまったということですが、そこで諦めなかったそうですね?
(ヨシミ、以下略)日本に帰国した後、状況が改善して日本での精密検査により、全身麻酔をともなう手術を行っても問題無いという診断がでれば、再度受け容れてもらえることになりました。

ーー日本での再検査はスムーズに行えたのでしょうか?
タイで手術することを前提とした精密検査を実施してくれる病院を探すのは難航しました。その中で、ガモン病院はセカンドオピニオンまで求めていたので、2個所で検査を受ける必要もあり、更に大変でした。

幸運なことになんとか地元の開業医と相談することができ、精密検査の紹介状を書いてもらい、セカンドオピニオンまで得ることができました。

最終的にガモン病院で手術をしてもらえる予約を取ることができたのですが、80kgだった体重を75kgまで落とすこと、またガモン病院で対応できない不足の事態に備えて、手術中、外部医療機関の循環器医師に待機してもらうための特別費用の追加を要求されました。

ーー体重を落とすのは大丈夫でしたか?
運動にはげんだことで、なんとか体重はクリアできました。とはいえ、ガモン病院で診察した結果更に 2kgの減量を指示されました。


ただ、最終的には外部医療期間の循環器医師待機のための特別費用は払わなくても大丈夫になりました。ガモン病院からの要求を答えていく中で、ガモン病院の麻酔担当医師が全責任を負う判断をしていただけたようです。

ーー日本でもタイでも大変な要求をこなされたのですね。
​最後はガモン病院から念書の提出を求められました。「手術によって死亡しても賠償金を請求しない」というもの。

そこで、やっとGOサインが出たわけです。

最終的には私がリスクを全て受け容れるのかどうか。という事だったようですね。

ーー何かあったときに病院経営に影響をあたえる様な訴訟とかのリスクを避けたいということでしょうか?
​おそらく、病院としては最大限のリスクを提示する。その上で、病院としても、「一定の条件をクリアすれば、後は病院の方で何とかできる状態を担保する」という事だったと思います。

そもそも、年齢条件でガモン病院以外は受け容れてくれなかったわけですから、厳しい条件の中で病院として引き受けることを十分検討していただいたと考えました。

ーーそして、手術当日を迎えることができたわけですね。リスクが高い手術を受けるに当たって、どの様な気持ちで挑んだのでしょうか?
不安はなかったです。今までの苦労の道筋に対するやりきった感じや、これからの生活への期待などいろいろなものが混ざった、ドキドキした感じだったことを覚えています。

手術は、全身麻酔だったこともあり、記憶がなくなった後気がついたら回復室(リカバリールーム)でした。気がついたときには痛みはなく、喉の渇きで目が覚めたくらいです。

ただ、ちょっと動くと手術したあたりに痛みが走りました。痛みを感じることで手術をしたんだなと実感がありました。

回復室とは手術後、異変がないかどうかを病院のスタッフがつきっきりで面倒見ている部屋で、その日に手術をした方が数名いらっしゃり、その方々と同様に数時間で自分のベッドに戻り、そこから数日間の入院生活にはいりました。

ーー手術からの過程は他の方々と同じだったようですね。手術による変化を実感したのはいつくらいでしょうか?

​入院中は数時間おきに検査・消毒があったのですが、その都度「手術受けることができた!」と実感していました。数日して、尿を排泄する為のカテーテルを抜くのですが、その時に手術による変化を大きく感じましたね。

手術前はいろいろなリスクと向き合って、多くの検査を受けたわけですが、手術から後は他の方と同様です。

退院後、私の利用したアテンド会社(タイSRSガイドセンター)の滞在施設(コンドータウン)に2週間程度滞在して、毎日病院に通って消毒を受けながらの経過観察でした。

手術前の減量のためか、退院時にはものすごく体力が落ちていて、術前の減量でジョギングをしていたコンドータウンの敷地内のコースを、術後は長く歩くことすらおぼつきませんでした。

病院とコンドータウンの往復はアテンド会社さんの車での送迎だったのですが、病院から戻った後はベッドの上でテレビを見たり、経過をスマホで報告したりしていました。

ーーそれは大変でしたね。報告は家族の方とですか?
​実は、その時点でも家族には全く内緒でした。仕事も休暇を宣言したわけではありませんでしたよ。

ーーええっ?
家族に内緒のまま日本へ帰ったヨシミさん、その後はどうなったのでしょうか?(後編へ続く)

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