トランスジェンダー女性が必ずしもジェンダーフリーに賛成でも男女二元論に批判的でもない

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最近の世界はポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)により社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように配慮がなされています。

SDGsにしてもジェンダーフリーにしてもLGBTという言葉以外でもセクシュアルマイノリティを考慮してくれる言葉はたくさん生まれました。

こうして出きた言葉の多くはトランスジェンダーのために「新しいもの」を作るきっかけとなりました。ジェンダーフリーな制服、ジェンダーレスなファッション、誰でもトイレといったものですね。ありがたい流れです。

しかし、トランスジェンダー方達の中にはこうしたジェンダーレス、ジェンダーフリーに賛成な人たちばかりではありません。

何故かといえば(MtXやFtXでもない限り)中性になりたいわけでも多目的トイレが使いたいわけではないという意見を多く見受けます。性別移行期にそうした中性的なファッションをすることはありますが、多くの方は男性的な、もしくは女性的な姿を好んでいるように感じています。

トランスジェンダーだからといって広い視野があるわけではない

また、トランス女性、トランス男性だからといって「男女二元論」に必ずしも否定的でないです。それに、男は男らしくあれ、女は女らしくあれとか、日本人なら~、大学生なら~、医者なら~といったステレオタイプに肯定的な人もいるのです。この場合、身体は男性でも自身は女性なので自分は女の中の女でありたいのだという印象を受けます。

世間は容姿で人を見る傾向が強いので、あなたは男性でしょう、女性でしょうと割り当てがあります。となると、あなたは見た目男性だけど、心は女性なので女性として扱ってあげます的なムーヴメントには、かみ合わないのでしょう。

かつて西原さつきが「(先週司法試験を合格なされた)小室圭さんが(彼の個人の問題はあるにせよ)長髪であることをニュースで厳しい目線で取り扱われる」とテレビ番組でコメントしたところ、男性は短髪であるべきだ、法律を扱う人間は短く、アメリカでは髪は短いといった批判もありました。その中にはトランスジェンダーの方たちによる意見も含まれています。

本来ならば自分も性別が男性で生まれて性別移行の中で髪を長くした時期があるはずなので、多様性を理解ができるはずです。しかし、そうならないのは自分は女性であり、男性に求めるものは違うというものです。

多様性の意識があるかないかと当人のジェンダーは全く別のものというのは重要な問題の1つだと思います。自分たちの意見があってもいいと思いますが、好き嫌いとは別に嫌なものも認める、容認する意識を持ってほしいのはトランスジェンダーに対しても一緒だと思っています。

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