レズビアン・イベントがトランス女性を排除!?今だからこそ思うLGBT前夜

  • NAO
  • photo by

    乙女塾

こんにちは、ナオです。レズビアンのイベントが入場をシスジェンダーの女性のみとしたことに是非を含めた波紋が広がっています。

乙女塾や私自身ではその是非や意見を述べることはしません。ここで話しておきたいのがLGBTという言葉が生まれる前の歴史です。

まず、LGBTという言葉が生まれる前、それぞれのセクシャルマイノリティは決して連帯したものでもなく、仲が良いものでもありませんでした。むしろ仲は悪かったとも聞きます。

そのためにニューハーフと呼ばれる人たちは歌舞伎町など、女装と呼ばれる人たちは新宿三丁目にお店を構えることが多かったと聞きます。あとはゴールデン街や新宿五丁目などにも今でも老舗が少し存在します。

新宿二丁目という町は文字通りゲイタウンだったのですね。そして、ゲイバーは二丁目以外にも広範囲にお店がありました。

現在ではニューハーフや女装と呼ばれる方々のお店は二丁目でも珍しくなくなりました。

一方で、今でもそれぞれのセクシャリティがそれ以外に対して制限を設ける、つまり、お店側が客に対して一定の基準を定めているお店は残っています。イベントでもまたしかりです。

例えば、ゲイバーでも「ゲイ」しか入れないお店とノンケだろうが誰でも受け入れる観光バーと呼ばれるお店などと分かれています。

その中でもレズビアンが一番厳しいことは知られていて、シスジェンダーでもビアン以外は不可などお店の多くがそうした制限を設けています。

時間帯で区別をつけているお店もあります。ノーマルな人でも午前二時以降ならば入れるとか、そうしたものです。それ以外にもドレスコードであるとかいろんな分け方があります。

私自身、いくつかのビアンバーに行ったことがあります。例えば、ご飯がおいしいというので(笑)行ったあるお店では、女装はダメだけどトランス女性ならいいよ、というお店でした。当時、何故OKをもらえたのか、区別はどうつけているのかはわかりません。

このように元々、新宿二丁目という町はLGBTという言葉が生まれる前は特に仲が良いものではなく、それぞれは独立していました。もしかしたら、世間の迫害から逃れるためには同じ属性で固まるしかなかったのかもしれません。

そして、上述のように古くから続く慣習は今でも一部残っています。

今ではジェンダーフリー、LGBTという言葉の傘の元にお互いのジェンダーの人たちが付き合うようになりました。ただ、そういう恵まれた環境が当たり前になるまでの歴史があったことは伝えておきます。

NAO の記事

NAO の他の記事はこちらから

RECOMMENDED

乙女塾のメンバーのオススメ。読んでね!

top