今だからこそ「ジェンダーフリー」を考えてみた

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ジェンダーフリーハウス「西原さつきFRIDAY by 乙女塾」2週連続にわたり皆さまご来場ありがとうございました。

写真撮影では大変長くお待たせいたしまして申し訳ございません。うちのアイドルさつきが人気すぎましたラブラブ

ジェンダーフリーストアについては皆さん様々な感想があると思いますが、ひとまずは日本で初めてこのような取り組みがあって、そこに協力できたことは個人的に喜ばしく思っています。

この先は何も決まっておりませんが、こうした取り組みが続いていくことが価値のあることだと思うのでこれからも力を尽くしてしていきたいと考えております。

というわけで今日はイベントが一区切りしたことで「ジェンダーフリー」について個人的な意見をかいてみようと思います。あくまで個人的な意見なので、批判は私にくださいませ

さて、「ジェンダーフリー」という言葉は「LGBT」という単語と共に世の中に浸透し始めて数年になります。今では大企業がLGBT研修に乗り出す一方で、やはり協力的な企業ばかりでなく、協力が得られない、ジェンダーについての取り組みはまだ難しい、わからないということは世の中の実情として往々まだまだあることなんです。なかなか道のりは険しい…。

乙女塾的には障壁の1つ「下着」「インナーウェア」を何とかしたいと思っているのでそうしたお取り組みがどこかでお届けるできるように頑張ります!

さて、こうした「ジェンダーフリー」のイベントとなると、かえってそれがアウティングと捉える方も多いでしょう。つまり、通常の売り場に行く勇気が持てない初期のトランスジェンダー層やサイズに難があるMtF、FtM、男の娘などがターゲットだという認識で、日常的に埋没している自分にはかえってばらすきっかけになってしまうという問題です。

ところが、今回のイベントでは時間が経つにつれ予想以上に普通の男女、カップルなどに来ていただけた印象です。30cmの靴を目にしてサイズだけでなく「体積?にびっくりした」とか新鮮な反応がありました。

特に資生堂ブースは他店舗で人気の品も当初在庫を入れてくれたのですが、かなり人が来てくださり売り切れ品がいくつもでました。私も悩んでいたアイシャドウのCat Street Popsは迷っていたら売り切れになってしまい…他店舗を回る羽目に…。

「ジェンダーフリー」というと、どうしても一番サイズの面で困っているトランスジェンダーへと焦点があたるのですが、そもそも女向け、男向けというカテゴリ分けは100%必要なのか?というところが疑問としてでてきます。

さつきとも話していたのですが、例えばコンビニに女性フロアも男性フロアもないじゃないですか(笑)。それって実は日本ではすごいことなんですよね。

ジェンダーフリーとなると今度は「性差は悪いものという捉え方は逆差別じゃないか」という批判もあることでしょう。

性差が必要な人にはそれはあってもよいと思いますが、社会通念的にはなからメンズ、レディースというだけの切り分けをしてしまうのは選択肢を狭めないか?という認識です。タグの1つに過ぎないというか。例えば、ざっくりニットやスニーカーを無理やり男女にわける必要ある?と。机の上にあったら分からないでしょうと。実際それらはユニセックスという名前で多少広がりは見せていますが。

先のコンビニの例で言えば、自分に必要な領域を見て、不必要なコーナーには近寄りもしないと思います。それで良いのではないでしょうか。

これは丸井さんとのインタビューでも少し触れましたが、実際に我々は性差に限らず「テイスト」や「年代」などで「壁」を持っていると思います。

「50代だから109のブランドは厳しい」「もう年だから着れない」とか貴方のお母さんお父さんが一回はつぶやいた事があるんじゃないでしょうか(笑)。日本人はそうしたしばりを好むというか、これまで「年代」「テイスト」「性別」「価格帯」などでデパートのフロアを区切ってきました。つまり、30代男性サラリーマンだからxxのデパートのxx階の〇〇ブランドを着て置けば悪く見えないという“無難さ”を求められるというか。

それで満足している人たちならそれでよいのでしょうが、“それ以外の選択肢”も素晴らしいということに気づいてしまった…だけど、恥ずかしいから手が出せない、怖い、近寄れないというのは~うーーん、勿体ないと。

何もメイクやファッションだけではありません。例えば、漫画業界なんかも同じです。少女、少年、青年…などと分かれていましたが、漫画アプリなどの時代になりそうした区分けの意識は減りだいぶ垣根がなくなりましたよね。

トランス当事者に限らずそうではない人たちも自由にものを選べば良いじゃないかと。私はそれをRPGでいう“最後のカギ”を手に入れた状態とか“閉ざされていた門が空いた状態”と呼んでいるのですが(笑)、そんな世界に近づくことがトランスジェンダーだろうが何だろうが自然と受け入れる下地になるのではないだろうかと思っています。

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