SRSをする・・想像以上に重い決断でした。
前回、私の改名のいきさつを報告しました。
今回は、SRS(性別適合手術)を受けるかどうかという問題です。
かなり前から「たぶん、私はSRSまで行くのだろう」という漠然とした思いはありました。しかし改名をした結果、「具体的検討事項」になったのです。年齢的なことを考えると、1年以内には結論を出さなくてはならないと考えました。
あくまでも「私の場合はこうだった」ということであり、人によって様々な考えがあるかと思います。
SRS決断の前提
決断すべきことは1.「SRSを受けるか受けないか」、2.受けるとすれば「国内か海外か」ということです。決断の基準はリスクとベネフィット(便益・利益)のどちらが大きいかということ。単純に考えた方が冷静になれると思ったからです。過度な期待は禁物だということも強く感じていました。
SRSの想定したリスクとベネフィット(メリット)
★リスク
・後戻りのできない不可逆的行為である
・金銭的負担が大きい……円安で海外へ行っても安くならない
・体力的負担が大きい……手術直後は身動きできない(私には手術後1週間うつ伏せという経験があり、動けない辛さは知っている)
・思わぬ合併症が起こる可能性がある……医療に100%の安全はない(生命に関わるような合併症の話を聞いたことはある(確率はわからない))
・手術しても外見は変わらない……パス度が上がるとは思えない
・4週間職場を空けることになるので調整が難しい
・職場で受け入れてもらえる保証はない……攻撃が激しくなる危険すらある
・手術後にどの程度の開放感があるのか、喪失感は起きないのか想像できない
・ホルモン治療の中止は不可能になる……中止すると更年期障害状態になる
・手術の前後はホルモン治療は中断になる……入院中は一切の薬が飲めない(事前に許可を得れば持病の薬を飲むことができる場合がある)
☆ベネフィット(メリット)
・身体的違和を解消できる……ほかに方法はない
・外見と書類の不一致を解消できる……戸籍の性別を変更できる
・社会的不都合の多くを解消できる……使える場所や服装の制約がなくなる
・強い開放感が期待できる……改名で得た開放感は期待を上回るものだった
並べてみるとリスクの方が大きいように思えます。しかし、そんなに単純ではありません。項目ごとに重さの違いがあるのです。
私の場合、身体的違和がとても強く、トイレやシャワーの度に、猛烈な違和感に襲われます。ホテルに泊まるとき、まず鏡に紙やポリ袋を貼って隠します。直接見ることより鏡に映っているものを見る方が、もっと不愉快だったのです。
意外な展開
改名の許可が出たのが4月3日。戸籍、住民票、健康保険、運転免許、マイナンバーカードなど最低限の変更手続きや職場での公表などに4週間ほどかかりました。そこで「次はどうする」と考え、情報収集を始めたのです。
とりあえず、5月11日にアテンド会社に話を聞きに行きました。そこで意外な展開が起きました。これまでのトランスの経過や損得勘定の認識などを話したら、「もう準備はできてますね」と返されました。この一言で心が揺れ始めました。
そして、手術するなら冬休みか春休みと話したところ、「今なら夏休みに間に合います」との答え。想定外だけど、夏休みは都合が良い。冬休みや春休みだと、何日かは仕事を休まざるを得ない。夏休みならダウンタイムを考えても仕事に支障がでない。ただ考える時間は短い。ほかのアテンド会社や国内の情報をとって比較するという余裕がなくなってしまいました。
気付いていなかった意外なこと
今年度から私の雇用形態が変わっていて来年度仕事があるという保証がありません。そこで、「在職中にする」ということの意味を考えたのです。
私が勤務する県はとても保守的で、最近までパートナーシップ制度すらなかったほどです。県内で教員がトランスジェンダーを公表したのは、おそらく初めてです。校長も教育事務所も「前例がない」と言っています 。元同僚何人かに尋ねてみましたが、みな「聞いたことがない」との答えでした。
しかし、電通ダイバーシティーの調査に当てはめると、県立学校だけでも30~40人ほどはトランスジェンダーがいるはずです。小中学校も合わせれば、その倍以上の人数です。その人たちに「あそこの高校で性別を変えた教員がいるらしい」という噂が伝わることには意味があると思えたのです。単なる自己満足かなと思って、何人かに相談したのですが、みな「自己満足ではない。社会的意義がとても大きい」と言います。確かに、保守的な学校業界で前例を作ることには大きな意味があります。でも、それを実行する精神的負担はとても大きいので、不安でなりません。
時間に負けて決断してしまった
6月3日に、再びアテンド会社を訪ねました。ここでも「社会的意義は大きい」とのこと。また、夏休みに間に合わせるためには、時間が迫っているとも言われました。そして、申し込みの書類だけでなく、現地アテンダーとの待ち合わせに使うネームプレートも渡されました。まだ決断してはいないと言ったはずなんだけどな。ただ、この時点でもう逃げられないかなという気持ちにはなっていました。
6月4日、決断できていないと言いいながらパスポートを申請。すでに時間に追われている感じ。6月8日。クリニックで診察。それまでのいきさつをドクターに報告。淡々と話を聞いてくれるドクターの顔をみているうちに、決断するしかないと思ったのです。でも、往生際が悪く、「手術しないという決断はできないと思います」と宣言をしたのです。ドクターは顔色を変えず「書類は用意できますから」「いろいろ考えた結果だから良いでしょう」と淡々とした様子。あっけなく決まってしまいました。その日のうちに、アテンド会社に書類を送り、動き出しました。
オプション
手術をすると決断したけれど、造膣をするかという問題が残ります。現地のドクターの判断で「不可能」と言われたらそれまでですが、自分で決めるのが原則です。
私は、性行為をしたいとは思わないので造膣の必要はありません。造膣なしなら手術の負担も軽減されるし費用も多少安くなります。なによりダイレーションの心配がありません。しかし、造膣すると決めました。合理的な判断ではなかったと思います。使う予定はないけれど、あることによって精神的な安定が得られると考えました。「やらない」と「できない」では意味が違うと思ったのです。
アテンド会社から、日程や年齢の関係から「ガモン病院・反転法一択」と言われましたので、するかしないかという単純な決断だったということもあると思います。
拙速な決断ではない
アテンド会社に行ったのが5月11日。決断をしたのは6月8日で一月足らず。これほど重大なことを決めるのには短かすぎるように思えます。しかし、それまでにいろいろと考え悩んだベースがあってのことなのです。私は精神医学会のガイドラインにそってトランスを進めてきました。ジェンダークリニックにかかってから、かなりの時間が経っていますし、何回もドクターに自分で決断する意思を確認されてています。あらかじめSRSを受けるという方向性は見えていて、最後の処理が1か月だったということに過ぎません。
そこから先が厳しかった
決断をすると、急激に事態が進行します。
6月13日。成田出発が7月28日、手術は31日、8月17日に帰国というスケジュールが決定。具体的準備にはいりましたが、出発まで6週間しかありません。さらに、想定外の問題が発生して大慌て。生きた心地がしませんでした。詳しくはまたの機会に報告します。