4日、暴行罪に問われた浅沼智也氏の無罪判決(青森地裁)を受けての浅沼氏、TransgenderJapan(以下、TGJP)、畑野とまと氏の合同記者会見が東京都内の司法記者クラブにて行われました。
東京都内のホテルで2023年2月、知人女性に抱きついたとして、暴行罪に問われた浅沼氏ですが、青森地検が期限の30日までに控訴をせず。1月31日に、無罪判決が確定していました。
2023年にA氏が浅沼氏が暴行をしたとする告発を行い、インターネットに拡散。当時TGJPの共同代表を務めていた浅沼氏に対して、(TGJPに)協力する4団体が声明を出すなど混乱した状況が続き、2023年のトランスマーチは開催延期となっていました。またブース出展を予定していた乙女塾も参加見送りを決断せざるをえなかったという事情があります。
乙女塾では、これまでもどちらかを支持するような声明をだしておりません。間接的に情報が少なく私たちでは真偽が判断できないこと、またそこに生徒やメンバーを巻き込まれないようにするためでした。そして、私たちは政治的な活動団体ではなく、その主義主張は行っておりません。
そこで、今回は記者会見の模様をできる範囲で全文掲載することで、この内容を客観的に周知するのが最善と判断いたしました。
経緯について
浅沼氏:
僕自身、2023年の秋からAさんが突然訴えを始めて性暴力加害者という。レッテルをずっとはられてきました。
僕が口を開いて弁明をしようとすると、「言い訳をするな」「二次加害だ」「虚偽だ」といろんなことを言われ続けてきて、ひたすら黙り続けるしかなかった現状がありました。しかし今回、刑事事件に発展し無罪を獲得して、やっと…やっと声が出せるようになりました。
僕は、今回の件について一貫して否認を続けていました。刑事事件として様々な証拠を取り調べて、性暴力の暴行はなかったことが証明をされました。僕自身は、判決を読んでいただければと思いますが、畑野とまと氏への怨恨による冤罪事件だと考えています。
今回、被害届を出されたAさんに関しては事件発生日と言われる前から、友人として個人的な関係もありましたし、団体としても良好な関係を築いていました。
取り調べについて
浅沼氏:
私自身は、今回東京で事件が起きたというふうに言われていますが、青森県警の方に突然逮捕状が発行されて刑事の方が家に来られたのが2024年の3月14日、真っ先に「反省をしてないな」ということを言われました。
その時にも「僕はやっていない」ということを言います。その時、ペットを飼っていたんですけども、既に携帯を押収されているから「友達に預けたいので電話をさせてほしい」と言っても、電話を貸してくれることさえもしてもらえませんでした。
特に刑事の取り調べのときに、カメラがない状況でいろんなことを言われました。まず一つは、抑圧的な態度です。貧乏ゆすりをしたり、指の関節をポキポキ鳴らして、最初に「他の刑事は怒鳴り上げたり、机を叩いたりするけども、私はそんなことをしないから」っていう前提から入りました。
そのことで僕はすごく恐怖を覚えました。「お願いだからメモを取らせてほしい」そのことを言っても、「ルールだからメモは禁止する」と言われました。逮捕された時点で、既にもう犯罪者という扱いを警察、検察からされて、僕はずっと黙り続けることしかできず、本当に辛い状況の中でした。
自白の強要もあり「早く吐いてしまえば、何回も取り調べをしなくて済む」このようなことを言われました。そして人格否定。刑事の固定概念がある中で、「あなたの考えはおかしい」その言葉も何回も聞かされました。そしてトランスジェンダーという私のセクシュアリティについてもハラスメント発言がありました。
本当に本当に心が折れる日々でした。被害者である僕の話は本当に信じてもらえず、供述調書の中でも既に刑事が描き上げたストーリーがあり、そこに載せられるような書きぶりをされました。「このような趣旨で書かないで欲しい」と言っても、「大枠わかれば大丈夫だから」ということでサインをしたこともあります。
後から「それは事実と違うから」「解釈を間違えたら違う方向に捉えられるからやめてほしい」と伝えましたが、変えてもらうことはできませんでした。暴行罪で起訴されて否認をしているからという理由で、約4ヶ月保釈が認められない状況でした。
トランスジェンダーだから困ったこと
浅沼氏:
初公判が終わってやっと出れた中でも、「携帯所持に対するという厳しい条件」、そして「実家から2日以上出てはいけない」、「特定の人物に会ってはいけない」というような条件のもとで、判決が出るまで生活をすることが強いられました。しかし、このような状況下でも、一貫して否認を続けて頑張ってこれたのは支援をしてくれる方が多かったからです。
拘留中にも、トランスジェンダーであるからこその困ったことがたくさんありました。しかし、土日祝日以外、友人、家族、そして今隣に座っている須藤さんが面会に来てくれました。励ましの言葉「頑張れ」というようなことをずっと言ってくれました。
それが、僕にとっては励みになりました。手紙や差し入れをしてくれる人たちもいる中で、僕は「絶対に戦わなければなければいけない」。性暴力事件が取りあげられる中で、どうしても言ったもん勝ちな社会があると思っています。
しかし、言えないことを認めること自体が正義ではなく、やっていないことを貫くこと、それを第三者である裁判官に調べてもらって判断をしてもらうこと。それが何よりも大事だと僕は思っています。
時間が限られてるので、この後またご質問等あるところはございますが、本当に本当に人質司法の怖さ、そしてトランスジェンダーだからこその取り調べの在り方、拘留中の困ったこと。たくさん声を上げられないことがありました。
信じてくれた須藤さんら職場のスタッフについて
浅沼氏:
今回の同判決が出て、支えてくれる人たちがいたからこそ、本当に頑張れたことを強調して、今回は伝えたいと思いました。
今回、有罪判決が仮に出てしまったときに(看護師)免許の業務停止だったりとか、取り下げっていう処分もあったんですけども、その中でも僕の話を信じて解雇をせずに、隣に座っている須藤さんは待ってくれていました。
今の日本の社会では、容疑の段階で報道が出てしまったりすると解雇されるリスクがとても高い現状の中で、須藤さんは信じて解雇をせずにずっと待ってくれていました。仮に免許がなくなった場合でも、僕を事務員として、というような手段も考えてくれていました。
昨日、職場にやっと復帰をすることができました。職場のスタッフも温かく迎えてくれました。「おかえり」「辛かったね」その言葉が本当に僕は何よりもうれしくなりました。
(次の記事では看護師の同僚である須藤氏、そして弁護士の西脇氏、トランスジェンダージャパンの村田氏などのコメントを掲載いたします)
(取材日:2025年2月4日 NAO)