乙女塾が生まれた日

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昨日はYouTube見てくださった方ありがとうございました。このような出演の場合あらかじめ話すテーマが5〜6個ほど決められているのですが、予定はあくまで予定……結局1個も話せるかどうかの状態でした。。。

「結局メイクと乙女塾の話までたどり着いていないじゃん!」ということだったので、この記事にて事前にまとめていた内容をご紹介します。

乙女塾が生まれた日

2016年4月、新宿で開催されていた大型イベントの「プロパガンダ」が終わって間もないある日のこと、私は西原さつきさん(以下、さつきさん)に呼ばれて新宿三丁目の喫茶店にいました。そこで、聞かされたのは「女の子らしくなりたい人に向けたレッスンスクール」の構想でした。

「経験上、いろんな失敗、寄り道があるけれどそういう時に支えてくれたりアドバイスをしてくれる居場所を作りたい」「自分に続いてMIQ(ミスインターナショナルクイーン)に出てくれるような生徒が1人輩出できたらいいなぁ」なんて話をしていました(そして後にそれは実現することになります)。

困ったのは名前です。最初は「パス度塾」という名前も提案があがったのですが(パス度=元の性別に見えない度合いを示したネット用語)ちょっとそれは直接的すぎないか……という話になり。「学校では固い」「パス度ってちょっと…」結局、さつきさんのひらめきで「乙女塾」になりました。

当時の写真を見るとなんとなくさつきさんが塾の先生っぽいんです。絶対意識していると思います(笑)

さつきとの出会い、メイクの始まり

そもそも、さつきさんと最初にあったのは2013年のこと。新宿にあるメイクと飲みが一体になったお店で私が働いていて、そこへさつきさんがお客さんとして来てくれました。そこから他のスタッフを介して仲良くなって、みんなで高野フルーツパーラーへ行ったことがきっかけです。当初さつきさんは私のすっぴんを知らなかったので、私のメイクbefore→afterに驚いたそうです。

少し時を遡って2000年代、家でメイク等を自己流で始めたことが全てのスタートでした。「女性に見えなければ外に出るのは難しい」と勝手に思っていたので、3年間も家で練習をしていました。(このあたりの内容はこちらをお読みください

結局、「実地に勝る経験なし」ということで、大した“クオリティ”ではなかったのですが、独学だったのが功を奏し「誰にも思いつかない技」を駆使するようになっていました。例えば、エクステで生え際を調整して良く見せる、つけまつげを解体して田植えのように手で植えて目を繊細に見せる、などです。周りからはbefore→afterが大きすぎるということで「メイクどうやってるの?」とよく聞かれるようになりました。私はその時「みんなは素がいいからもっと可愛くなれるのに」と思うようになりました。

その時に働いていたお店でメイクサービスもあったので、自然に人にメイクをするようになります。最初は別にヘアメイクやメイク要員がいたのですが、人の入れ替えもあったことで気が付いたら私がメインでお客さんにメイクをするようになったのです。そういうことであればきちんと勉強をし直そうと思い、メイクの学校に通いはじめました。そのうち、きちんとした仕事に繋がっていき……という流れでした。

ほんとうの乙女塾の始まり

そんな縁もあってか(?)さつきさんが2代目の主宰を務めることになったイベント「プロパガンダ」にて、ひょんなことから私がメイクアップブースを担当することになりました。といっても、さつきさんは代表、こちらは裏方。それほど話す機会はというものはなくて、そのままイベントは2016年3月をもって終了となりました。

1つの時代が終わった時、そして乙女塾projectの構想がさつきの中で走り始めたのがちょうどこの頃です。

ただ乙女塾を始めてみると、自分たちが思っていた以上に性別の悩みは深いということがわかりました。

初期の乙女塾は、グループレッスンで1回10人前後、1日でメイクレッスン、ボイスレッスン、写真撮影をやるというものでした。しかし、年齢も身体(治療)の状態も性別の悩みも様々。トランスジェンダーの方が多いのですが、GID、男の娘、FTX、それ以前の何かしらにカテゴライズされる前の状態だったり、もっとライトに性に悩んでいる人など、色んな方がいたのです。

もう少し個々の満足度をあげれないか……試行錯誤の末、1年後にマンツーマンレッスンとしてリニューアルしました。今の形で乙女塾が始まった瞬間です。

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