『LGBTQ+とそのアーカイブ』集める意味は?

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昨年、一般層まで巻き込み好評のうちにその展示を終えた渋谷区立松濤美術館の企画展『装いの力 -異性装の日本史』。その展示にも協力したのが、性社会・文化史(ジェンダー/セクシュアリティの歴史)の研究者である三橋順子氏でした。

乙女塾運営部では昨年末に一度インタビューを申し込み、2時間以上にも渡りお話を聞きました。その中には、トランスジェンダーを揺るがす問題が多々ある今だからこそ書き起こしておきたいテーマがたくさん。そこで、小さなテーマごとに記事にしていきます。

今回のテーマは『LGBTQ+とそのアーカイブ』

(取材日:2022年12月8日 聞き手:NAO、みなみ)

ーー(乙女塾編集部、以下略)LGBQ+界でゲイカルチャーやビアンのカルチャーはトランスジェンダーに比べると歴史としての積み上げがあるように感じています。近代の資料が揃っていたりするのではないか?と実態はどうなのでしょうか?

(三橋順子氏、以下略)まったく逆です。書籍や文献資料の蓄積がいちばん多いのはトランスジェンダー・カルチャーです。近年、ゲイ・カルチャー関係も増えてきましたが、まだ並ぶところまでは行っていないでしょう。レズビアン・カルチャーは、質量ともにかなり少ないのが現実です。

それは「プライドハウス東京・レガシー」で、関連書籍を集めた書棚を作る仕事を依頼されたときに、実感しました。文化としての歴史の長さがまったく違うので、仕方がないことなのです。

そもそも読者の関心・興味の度合いが違います。1990年代にBLブームが始まる以前は、ゲイ・カルチャーに関心を持つ人は少なかったわけで、書籍や雑誌も読者の関心が乏しいテーマはやらないわけです。

大げさに言うと2000年の歴史があり、日本文化の中にしっかり根ざしているトランスジェンダー・カルチャーとは状況が違うのです。そのあたり、松濤美術館の「異性装の日本史」展で、はっきり現れました。

2022年7月に出した『歴史の中の多様な「性」』(岩波書店)で、思い切って指摘したのですが、現代のLGBTQ+の運動は、「歴史と文化への認識の欠落」がある、自分たちの先達が今よりずっと困難な社会状況の中で、どんなことをしてきたのか、関心がない、まして敬意もない。現在のことにしか関心がない,語らないし、知らない。はっきり言って、とても薄っぺら。

外国からは不思議に思われていますよ。日本は長い歴史と固有の文化がある国なのに何で?って。

ーーでは、トランスジェンダー・カルチャーの資料収集はどんな状況なのでしょうか?

戦後(1946~1999年)の雑誌、週刊誌・月刊誌などに載った女装、男装、「性転換」関係の記事は、2000年代初めに中央大学の矢島正見教授(当時)の研究プロジェクトで、ほぼ網羅的に収集しました。メンバーが手分けして、大宅壮一文庫や国会図書館、風俗資料館(神楽坂)などで、コピーしました。たいへんな作業でしたが、集めた価値はありました(現在は和光大学の杉浦郁子教授の研究室に保管)。

それとは別に、私個人で、明治以降、昭和、平成の半ばぐらいまでの女装・男装関係の新聞記事はかなりコピーを集めてあります。

雑誌類は、1960年代の性風俗雑誌『風俗奇譚』、女装雑誌『くいーん』『ひまわり』はほぼ完全に、ニューハーフ雑誌も主なものは、ほぼ全冊、私が所蔵しています。

「異性の日本史」展には、書籍2冊、戦後混乱期の上野の女装男娼世界を描いた実録小説『男娼の森』(1949年)と、新派女形の曾我廼家桃蝶さんの自伝『芸に生き、愛に生き』(1966年)、昭和戦前期の女装芸者さんの絵葉書(3枚セット)、昭和戦後期の女装芸者さんの写真が載っている『風俗奇譚』2冊、1950年代後半、日本最初のアマチュア女装同好会「演劇研究会」の会誌『演劇評論』10冊、それに『くいーん』2冊、『ひまわり』3冊を展示資料として提供しました。

日本最初の女装同好会の会誌『演劇評論』(1950年代後半)

角達也『男娼の森』(日比谷出版、1949年)

曾我廼家桃蝶『芸に生き。愛に生き』(六芸書房、1966年)

1960年代の女装秘密結社「富貴クラブ」旧蔵の写真プリントをコラージュして展示したかったのですけど、肖像権の問題で実現しませんでした。

ーーその方が女装している、ニューハーフだとばれてしまうのはいけないアウティングの問題もありそうですね。

はい、そうです。まあ、皆さん、バレるような女装はしていませんけどね。表紙が女装者のポートレートの『くいーん』は、間違いなく亡くなっている方、個人的に掲載許諾が取れている方を選びました。『ひまわり』は発行人であるキャンディ・ミルキィさんと私が表紙のものを選んで提供しました。

「何でお前が展示されているんだ」と言われましたけど、そういう事情なのです。自分なら、即、肖像権クリアですからね。

一番の問題は、こうした私が所蔵している女装関係資料が、私が死んだ後、どうなるか、なのです。

散逸、もしくは失われてしまう可能性が高いわけで。どこかの大学がまとめて引き取ってくれればベストなのですが、日本の大学は、異性装関連の資料には関心を示しません。

それでも、稀少性の高い1950~60年代の性風俗雑誌(約500冊)は、「社会文化史データベース ―性風俗稀少雑誌コレクション—」(丸善雄松堂、2022年6月)として、撮りためた1990~2000年代前半の女装、ニューハーフ、性同一性障害関係のビデオはDVD化して「関西大学・トランスジェンダー関連デジタル映像アーカイブ(三橋コレクション)」(2023年3月)として、アーカイブ化したので後世に残ると思いますが。

ーー今の若年層は、ジェネレーションギャップもあると思うのですが中高年に対して厳しい見方をするものも多いです。でも、歴史を学ぶ、知ることはとても大事じゃないかと思うのですが…。

まあ、「上の世代が悪い」と言っていれば楽ですからね。歴史を知ることが大事だと思うのならば、こうやってたまには、老人の話を聞いて残せばいいと思います。

あと、2000年代以降の雑誌記事を網羅的は集めていないのが心残りです。誰か研究プロジェクトで、やってくれないかな。

2000年代以降の女装・ニューハーフ プロパガンダ、男の娘ブーム、女の子クラブができて~という流れを、私はリアルタイムで見てきましたが、資料収集やインタビュー調査をきっちりして、歴史としてまとめるのは、もう体力的・時間的に無理です。その仕事は、若い研究者に委ねたいと思います。

思い出すのは、プロパガンダで、スタイル抜群の美人さんがいて、お願いして写真を撮らせてもらったのですが、それが西原さつきさんだったのです。

ーーそうなんですか!?

たしか2014年。お世辞じゃなく、「これはすごい! 時代が変わる」と思ったので、よく覚えています。

ーーそう言ってくれるのは嬉しいです。でも、本人はまだ迷いがあった時期らしいです。

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