4月24日から30日まで梅田にある大丸でポップアップストアを開いたのがファッションブランドの『ブローレンヂ』だ。
「ジェンダーフリーな可愛いお洋服」をテーマにした同ブランド、デザイナーの松村さんは昨年秋の乙女塾交流会にも参加してくださった。その時に試作品だった『魔法のパニート』は後にクラウドファンディングで製作資金を集め予想以上の反響を得た。
見た目はまるでスカートの下にはく「パニエ」と似ているが、腰回りとお尻にボリュームを持たせ一方で前面の下っ腹が膨らまないように工夫されているなどシルエットをより女性らしくすることに特化したアイテムだ。骨盤のボリュームを足すアイテムはこれまでほとんどなく、こうした選択肢が増えることは朗報と言える。
製作したブローレンヂはなぜこのようなアイテムを作るようになったのか、その原点を聞いてみた。
ーー「ジェンダーフリーに可愛い洋服を届ける」というのがコンセプトですが、そのようなアイテムを作ろうと思ったきっかけは何でしょうか?
よく取材で聞かれることなんですが、この「きっかけ」というやつがめちゃくちゃ長くなるんです。直接のきっかけを言うと、「ではそれのきっかけはなんですか?」が連続して出てくるんです(笑)。
ーー良かったら1つ1つお聞かせください。
実は、小さなころから遊ぶのは男の子ばかりでした。性自認って大抵の場合5,6歳頃にははっきりしてきますよね。
でも私は小学校2年生くらいまで自分がどっちかはっきりわからなかった。というか、なぜ大人は私を女の子とばかり遊ばせようとするんだろうと思っていました。
小学校5年生くらいから、自分で服を選ぶようになって、そのころからは、完全に男の子の恰好をしていました。好きになるのは男の子なんですけど、自分も男の子になりたかったんです。
中学校は特にしんどかった。セーラー服が苦痛でした。成長期で体つきが変わるから私服の男の恰好も似合わなくなるし…。
ーーそれで、それで。
高校を卒業して、紳士服のオーダーの会社に就職しました。一年弱働いた後にスーツに飽きて、その反動で若い子向けのアパレルショップに転職しました。ジャンルは、ふんわりパステル系の合コンとかに着ていくと評判よさそうな感じのお洋服のお店です。そこで、たまになんですけど、女装された方が来られるんです。
でも、なかなか試着してもサイズが小さくて入らない。「あはは、やっぱり無理かぁ」なんて笑ってるんですけど、内心はすごく落ち込んでるんだろうなというのがすごく伝わってきました。
ーーサイズはみんな苦労した経験があると思います。
それと、アパレル業界ってすごくブラックなんですよね。キラキラした職業に見えるけど、空調が効いていない倉庫での力仕事が多かったり、セール時期はすべての商品にセールのシールを一日中はり続けるとか割と地味な仕事が多いんです。
そのうえ給料が安い。アルバイトだと、月に14万くらいでした(2007年当時)。その中から、そこのブランドのお洋服を買って着なきゃいけない。社割はありますけれど月2万くらいは仕事服代です。だから実家暮らしじゃないとやっていけない。一人暮らしの場合はほとんどが、バーやキャバクラとの掛け持ちです。んで、体調壊して辞めていく。
では、その上の会社ががっぽり搾取していてウハウハなのかというと、別にそういうわけでもない。アパレル業界のシステム自体が崩壊してるんです。だから、システムに風穴を開けたかったっていうのもブローレンヂを始めたきっかけの一つですね。
ーー美容部員さんとかもそうですけど、ほとんどのお店で驚くほど時給が低いですよね。見栄えは良いから入りたい人は多い。だから、いつまでたっても改善されない、という負の連鎖ですよね。
その後、結婚したこともあり、26歳の時に社会人入試で大学に行き始めました。専攻は心理学です。夫婦問題とか、男女って何がそんなに違うんだろうとか。そんなことに興味をもって研究していました。
沢山論文を読んでいるうちに、「男女って同じではないけど、今の社会にある男女差ほど根本は違わない」って思ったんです。それと、同時に論文を読んだり書いたりしただけでは、世の中変わらないなとも思いました。
だから、その時点でもう男女についての研究はやめました。その時にもっと興味があったのが、認知心理学の「目の錯覚」でした。全く同じ図形が並んでいるのに、向きが違うだけで大きさが違って見えたりするやつです。
例)ミュラー・リエルの錯視、上下の線は同じ長さである。
その目の錯覚を使って、服をデザインしたら面白いんじゃないかと思ったんです。体型に自信がない人でも、目の錯覚を取り入れたデザインで着るだけでスタイルアップする服があったらいいなぁと。
私自身、胴長短足でお尻が大きくドテッとした体型なので、そういうのを解消できる服を作ろうと思ったのです。そこで大学卒業後に、早速ミシンを購入し服を作り始めました。
ーーブローレンヂの売りの1つでもある錯視を利用した体型補正というところのスタートですね。
最初のうちは目の錯覚を取り入れたレディース服を作っていたんです。作ったものをハンドメイドサイトとかで売ったりして。でもレディース服のブランドっていっぱいあるし、この目の錯覚をもっと活かせるところないかなぁと考え始めました。
そこで、「何かないかなぁ」とぼんやり考えていた時に、「そういえば女装やトランスジェンダーの人って服どうしてるんやろう」と思い出したんです。調べてみると、みんな苦労していて、特に肩幅や着丈は全然足りない。
女装者やトランスジェンダーの方のファッションをTwitterやインスタなどで検索してみると、ほとんどの人が、体型に合っていないアンバランスな服を着ていました。
ーー多くが女性として青春を経験していないから、どうしてもみんな好きな洋服とか理想の女の子像を最初のうちは追い求めてしまうんですよね。
着れる人はまだいいけど、小さすぎて入らない人もいる。その時に、大学の性同一性障害についての講義を思い出しました。性同一性障害の男の子が主人公のビデオを見たんです。
女の子になりたいけど戸籍を変えるには性別適合手術が必要だとか、受験の時に見た目と戸籍が違うとかで受けれなかったりとか色んな悲しい出来事が描かれていました。
見終わった後に教授が、「皆さんこれを見て、大変だと思ったでしょう。でもね、これを演じていた役者さんはかわいくて華奢な女の子でしたよね。もしこれが屈強な男性が演じていたらどう思いますか?」って言ってて。
「これはかわいらしい男の子が女の子になりたくて葛藤してる姿を描いていて、だから『大変だな、認めてあげたらいいのに』って思うだろうけど、実際にはこんな華奢な子ばっかりじゃないよ」って。
ーーそうなんですよね。私もLGBT研修の時に言った時があります。「今日、ここに来れている人たちは社会的にも進んでいる人たちです。では、あなたの隣に座っている50代の男性が突然、私は女子なんですと言ったらどう反応しますか?」と。実際はそうして周りに言えずにいる方も非常に多いわけです。
はい。「筋肉がめちゃくちゃついてるラグビー部員みたいな人でも、心は女の子で、女の子の服を着たい、女の子として認めてよって思っている人はいっぱいいる」って投げかけられました。その講義が猛烈に印象に残っていたんです。
でも、そんな人たちの悩みも、着れるサイズの服を作って、目の錯覚で体型を補正したらよいんじゃないかって思ったんです。
ーーそこから最初のブローレンヂの洋服を作るまでの経緯を教えてください。
元々手先は器用だったんです。初めは、自分が持ってる服を糸をほどいて、パーツに分けて型取りをしてから好きな布で作ったり、型紙を買ってきてデザインを加えたりして作っていました。一日中アトリエにこもって熱中していました。
ミシンとしか触れ合わないから、久しぶりに友達と飲みにいたときに、言葉が出てこないくらい。脳の構造が変わってしまったのかって不安になりましたね(笑)。
次第に自分のブランドを作って販売したいという気持ちが出てきて、これは自分で一からパターン(服の設計)を引けるようになりたいと思い、服飾専門学校の社会人向けのスクールに通い始めました。
そこで、立体裁断などの基礎を学びました。工場に委託するようになった時に基礎を学んでいたので、とても役に立ちました。
ーー『テラオエフ』さんというところが実際に仕立てを行っていると思いますが、最初からすんなり受けて頂けたのでしょうか?
いえ、工場を探すのが大変でした。ネットで「縫製工場 小ロット対応」などで検索し、一軒一軒電話しました。
ところが、「メンズサイズでレディースディティールのお洋服を作りたいんですけど」というと、ほとんどが「うちはレディース専門なので無理です」「そんなのやってません」と返事が返ってきます。30件ほどリストアップしていた中で最後まで、電話をかけなかったのが、今お世話になっている工場さんでした。
なぜ最後までかけなかったかというと、ホームページが高級感ありすぎて…。個人では相手にしてもらえないだろうと思っていたからです(笑)
でも、最後の頼みの綱でかけてみると、意外とあっさり面会してくれることになりました。しかし、上司の方が勘違いされていたようで、普通のレディース服の依頼だと思い込んでおられて、断られそうになりました。でも必死に食い下がり、思いを話したら伝わったのか、お受けくださることになりました。
そこからは、工場のパタンナーさんと、こうしたらどうか、ああしたらどうかと試行錯誤が始まりました。
何しろ世界初の試みですから、正解がないのです。普通のレディースだったら過去の蓄積があるのでそんなに手間はかからないのですが、メンズの大きさをいかに女性らしくみせるかがとても大変でした。
ーー世界初の洋服を作る事の大変さってたくさんあると思います。ブローレンヂの洋服の価格が決して安価ではないのもそうした理由だと思いますし。そうした理由を教えていただけますか?
例えば、大きなサイズのワンピースを作るというだけで生地の量が段違いに違います。体の大きさが全く違いますし、メンズの腰の細さをカバーするためにふんだんにギャザーを入れたりするので、既存のレディース服では考えられないくらい3倍ぐらいの生地の量になったりもします。
ーー3倍になったら、原価がそれだけでも3倍ですよね…。
着丈が変わるので、機能的な面でファスナーの長さが最長規格でもメンズ体型には短すぎるために特注しないといけなかったりもしました。布だけでなくてパーツ全てにおいて1から見直しが必要なんです。
ーー生地がとても高級でビッグメゾンも使われているものだという事を聞きました。実際にテイストやデザインのこだわりを教えてください。
基本的には、レトロクラシックなものが好きなんです。一番最初のフリフリのかわいいワンピースは、ブローレンヂを立ち上げる時にみんなにどんな服を着たいかリサーチした結果、フリフリのものが好きな方が非常に多かったので、自分が着たいと思える範囲で一番可愛い服を作りました。
新作の方は、本来自分が好きなものです。それと、流行りのデザインは作りません。今年買った服が来年には流行おくれでダサくて着れないなんて嫌じゃないですか。
ブローレンヂのお洋服は、一デザインごとの生産数がかなり少ないです。あまりに多く作りすぎると、イベントやパーティーなどで、「服が被って気まずい」なんてことになりますしね。
もう一つは、薄利多売で劣悪な労働環境を作り出すアパレル業界への挑戦でもあります。安い服には、それなりの理由があります。日本のアパレル製品の97%が海外アジアで生産されたものです。スラム街に住みながら低賃金で縫製工場で働いてる人の上に、今の日本のアパレルは成り立っているのです。
そこに疑問があり、信頼できる日本の工場に生産をお願いをしています。
ーー昨年、ファッションポジウムを行いました。開催のきっかけはなんなのでしょうか?
ブランドを立ち上げた当初から、いつかはファッションショーをしたいなぁと思っていたんです。それで、2017年の秋ごろに、東大教授の安冨先生とお会いして、色々お話をしていて、「ファッションショーをしたいんですけど、どこかインパクトのある場所ご存知ないですか?」と聞いたら「では、安田講堂はどうですか?」と言ってくださったんです。大学でやるなら単なるファッションショーではなく、シンポジウムを兼ねてやろう!という感じで構想を練り始めました。
ーー今後の展望をお聞かせください。
今後は、オーダーメイドをやりたいなぁと考えています。まだまだ構想の段階なので、一年後とか二年後とかそれくらい先になるかもしれませんが。それと、性別だけでなく、年齢にも縛られないアパレルブランドを作りたいと考えています。
性別や年齢にしばられずに、誰もが自由にファッションを楽しめる世界を目指して、これからも歩んでまいります。ブローレンヂは私一人の力ではどうにもなりません。皆さん応援よろしくお願いいたします。
ブローレンヂは今後魔法のパニートの改良版で新色も追加しピンク色を販売するという。そうした新作にも期待したい。