浅沼智也氏の性犯罪での訴えに対する無罪判決が出て、今後、TGJPをはじめトランスジェンダーの活動に関して再び活発になることが期待されます。
今後どうなる?トランスジェンダーの活動
しかし、無罪判決がでたからといって「トランスジェンダーの“活動”に関する問題が無事に解決した」というわけではありません。
実際に、トランスマーチに元々賛同していた団体の中には、「無罪判決=無実ではない」として、訴えた女性の肩を持つ団体もあります。
いわゆるLGBTQ+や多様性の推進が進んだ結果、バックラッシュも起きています。
トランプ政権以降、トランスジェンダーを中心とした多様性(DEI)への反発は、より苛烈になっています。大企業もすでにDEI(多様性プログラム)の見直しを進めています。Googleは「プライド月間」や「女性史月間」「黒人歴史月間」など、LGBTQ+やフェミニズム関連のイベントをカレンダーから削除しています。マクドナルドもDEIの方針を変更して、多様性の目標を廃止しました。
浅沼氏の問題だけじゃなく、もっと大きな話。トランスジェンダーの活動について考えてみました。
トランスジェンダーの活動家の後継がいない

私たちの日本では、Xでは苛烈なヘイトがあるものの、企業や政府レベルでの大きな動きにはなっていません。ただ、気になっていることがあります。それは、活動家の後継が育っていないことです。
現在の活動家は、すでに高齢になり引退した人・亡くなった方もいますし、畑野とまと氏を含め、何十年も活動を続けてきた人たちです。しかし、その人たちに代わる若い当事者がいるかというと、FtMには少なからずいるものの、MtFトランスジェンダー(トランスジェンダー女性)に限ってはほとんど活動を見かけないのが現状ではないでしょうか。
2023年のトランスマーチの参加人数は2022年と比べて大きく減ったと、村田事務局長が報告していました。浅沼氏の問題が解決して人数が戻るのかといえば一抹の不安があります。
その1つに、トランスジェンダー女性の間で、若い世代と中高年の間に大きな分断があることがあげられます。若い世代は、すでに生まれたときから制度が整っていて、それを活用して性差を乗り越えやすい環境があります。容姿面でも男女の性差が少なく、埋没しやすいケースが多いように感じます。
一方で、中高年のトランスの場合は、過去にトランスとして生きづらかった時代を経験していることや、ある程度の年齢になってからスタートすることで、性別を超えるハードルが上がる傾向があります。
世代間格差ではあるけれど、お互いに「違う生き物」のように感じている部分もあって、当事者同士でも分断が広がっています。
もっと言えば、トランスジェンダーの中でも、水商売などを生業にして「ニューハーフ」と自称する層と、「トランスジェンダー」と名乗る層では、そもそもの価値観やアプローチが違うので(かつてに比べて)分断があるようにも感じます。
このようにトランスジェンダー女性といっても一枚岩ではありません。いろんな人がいます。
単一のわかりやすいメッセージに希望
では、これからトランスジェンダーの活動はどうあるべきか?私は、楽しく柔らかくPOPな表現で「わかりやすい単一のメッセージ」を希望しています。
どうしてもトランスジェンダーの主張って、「見た目で損をした」「生きるのが苦しかった」「もっと認めてほしい」といった辛かった話になりがちです。そして、「TRANS RIGHTS!」と大声で権利を主張する流れになりやすいんですよね。ただ、一般の人たちの多くは、自分の生活に精いっぱいで、他人の苦しみを理解する余裕がないことが多い。だからこそ、大事なのは「理解したくなる」「寄り添いたくなる」ような楽しさ、柔らかさ、優しさなんじゃないかと思います。
もうひとつは、単一のメッセージです。トランスジェンダーの権利主張は、ともすれば左派の活動とセットで語られがちです。たとえば、「女性の権利主張」「フェミニズム」「フリーガザ」「黒人差別」「反原発」「反自民党」みたいなワードと一緒にされることが多いです。
でも、トランスジェンダーの中には自民党が好きな人もいるし、イスラエル支持の人もいるし、女性の権利に興味がない人もいる。だからこそ、広い枠で語られると、焦点が曇ってしまいます。
大事なのは、「トランスジェンダーを○○する」といった単一のワードのもとで、若い活動家が出てくることではないでしょうか。
活動家の新しい形は…
ただ、若いトランスジェンダーは性別移行の苦労を語るよりも、埋没することを選ぶ傾向が強いので、活動家になろうとする人自体がほとんどいないのはいうまでもありません。
そういう意味で、「革命家」と名乗っているので活動家とは違うのかもしれませんが、性別破壊党のような活動には興味を持っています。党首が華やかなルックスで黒いワンピースを統一衣装にして活動のブランディングを意識しているし、メガホンを持って新宿を練り歩く姿は、何か新しい風を感じました。活動家という表現自体が、時代の流れとともに他の形に変わる時が来たのかもしれません。
そんなことを言いつつ、私自身は講釈を垂れるような立場でもないし、若くもないけれど、私なりにメイクのスキルを活かして「トランスジェンダーをすべからくルッキズムの悩みから解放する」というのを目標にしておきましょうか。自分では自覚がないけれど、それも新しい活動家の形なのかもしれません。