6月15日まで新宿伊勢丹で「TUTTI」のパンプスが販売されていました。こちらのパンプスに開発協力という形で携わらせて頂いております。
(真ん中が私です)
私にとってパンプスの開発協力というのは夢の1つでした。
この企画は、ジェンダーフリーなパンプスであるだけでなく「痛くないハイヒールを作る」という思いを掲げてスタートしました。試行錯誤の末に、誇張ではなくまるでスニーカーのように走れるものが出来上がりました。
しかし、例えばそういった試作の際に2mmサイズを変えただけで痛くなってくる。それだけパンプスというものは繊細な生き物なんです。
今日は、私とパンプスとの出会い、そして大人になって履くようになってからの歴史について語ります。
子供の頃「パンプス」へのあこがれ
(撮影にて)
子供の頃、バブルやジュリアナ東京の時代を経験した私にとって女性といえばほぼみんなががヒールのあるパンプスを履いていました。それを履いているのがお姉さんでもおばさまでも内心「良いなぁ」と思ってみていました。
しゃんとした後ろ姿、スタイルアップして姿勢も女らしくなり、なんだか少し色っぽい。ストッキングとの組み合わせは至高で、街中でたくさんのパンプスが見られると自分の中では天国でした。
子供ながらに一種のフェチズムだったのか。女性になりたい願望の表れだったのか。
大人になって憧れたのはクリスチャン・ルブタンやジミー・チュウ、マノロ・ブラニクといった海外の“ほそい”ハイヒールでした(日本のブランドより海外のハイヒールはヒール部分が細いものが多くそれがまた色っぽいんです、しかしマンホールの穴にはまります…)。
はじめてのハイヒール
(パンプスを履いての撮影にて)
しかし、いざ自分がハイヒールを履くとその幻想は崩れ落ちることになりました。
最初は子供の頃のあこがれを体現しようと「10cm以上ヒールがなければパンプスにあらず」とハイヒールを買いました。しかし、初めて街に出た時に気が付きました。足が痛い、ついでにスカートが寒い。
2000年代は今ほど通販が充実しておらず、女性の靴はほとんどが24cmか24.5cmまで。そうでなくてもアイテムのバリエーションも多くありませんでした。
最初の通販はマルイ(Voi)でした。すごい可愛くて何日も迷って買った黒いエナメルのパンプス。しかし、今のように大きなサイズなんてものはありません。私はぎりぎり24.5cmが入るのでそれを履いたのですが、時間とともにむくみきつくなってくる。30分経つともう我慢ができない。
それでも、1年ぐらいは頑張ってハイヒールを履いていました。
ところが…。
サイズはなんとか25cmのものを見つけてそちらを購入、意気揚々とオシャレして代官山へ行ったのですが帰り道で痛すぎて辛抱たまらず脱いで裸足で帰ったことを覚えています…。
スニーカー時代になってもパンプスはやっぱり特別
(伊勢丹新宿店にて)
後々、海外のあこがれのパンプスを手に入れて履きこなさそうとシューフィッターの講習にも通いました。なんとか履き続けていくうちに、非日常だったパンプスも気が付けば日常となっていきました。
「実用性」を重視し、ヒールの高さは7cm、5cm、あるいは太いヒールへとシフト。(ブームを言い訳に)今やスニーカーやサンダルがメインになっています。
それでも私にとってハイヒールは特別なものです。私は昭和体型で背も低いのでスニーカーではスタイルが悪い。足は短いし顔もでかい。
ちょっぴり背は高くなってもやっぱり女らしく、そしてスタイルアップもしたい。
シューズラックには結婚式やイベントのためにハイヒールがところせましと眠っています。乙女塾で活用する機会を増やすことが子供の頃夢みたパンプスへの恩返しなんじゃないかと思っています。