性別はグラデーションだ、時代の先駆け?明治大学のALLY WEEKのファッションショーがすごい

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2020年秋冬に向けたミラノコレクションでGUCCIのメンズがまるで女性服のようなデザインを採用し話題を呼びました。

このような取り組みは乙女塾チームもかかわったファッションポジウムもそうですがジェンダーの壁を越えて着たい洋服を着用できるような社会にしたい、というメッセージ性を感じています。一方で、ファッションに明るいものなどは単純にそうした男女の二元論ではなく服とジェンダーをグラデーションとしてもっと意義のあるとらえ方ができないかという意見もありました。

日本でもそうした取り組みが過去にありました。それは明治大学のジェンダーセンターがかかわって行われたジェンダーフリーのファッションショーです。

今回は明治大学情報コミュニケーション学部ジェンダーセンター長の田中洋美准教授に話を聞きました。

ーー私たちも2018年に早稲田大学のジェンダーセンターのイベントに出させていただきました。そもそも、いくつかの大学に置かれている「ジェンダーセンター」って何なのでしょうか?

(田中先生、以下略)ジェンダーセンターと一口に言っても各大学によって組織・運営体制、分野・テーマ等、色々ですね。

明治大学では、戦前の「女子部」における女子教育の伝統が戦後につくられた「短期大学」に引き継がれ、長らく女性学の講座が開講されるなど女性学を学ぶ機会がありました。組織改変で短大がなくなり、情報コミュニケーション学部が新たにつくられた時に、女子教育や女性学の伝統を引き継ぐ意味合いもあって、まずは2009年度、ジェンダーセンター設立準備委員会ができ、翌2010年度に正式に設立されたという経緯があります。

この設立前後の初期の頃からポピュラーカルチャーやセクシュアリティに関する研究会をやっていました。近年は性的マイノリティやSOGI(sexual orientation and gender identity; 性的指向と性自認)の問題を考えるイベントを定期的に行っています。

ーー田中先生自身ジェンダーを研究しています。
2011年に、明治大学にジェンダー論の教員として着任し、以来センターの活動に携わってきました。最初は既にある企画のお手伝いをする感じでしたが、少しずつ自分自身でも企画を立てるようになりました。

自分で提案した最初の企画が、2013年のレイウィン・コンネル教授(当時:シドニー大学)の招聘でした。コンネル教授は世界的に著名な社会学者・ジェンダー研究者でこれまでに打ち出された最も包括的なジェンダーの社会理論の、また「複数の男性性(masculinities)」論の提唱者として知られています。またMtFのトランスジェンダーでもあります。私が2000年代に初めてお目にかかったときはまだ男性でしたが、その後女性になられたんですね。招聘時にはアテンドする機会がありましたが、女性的なメイクやファッションなどを楽しんでいる印象がありました。

コンネル教授の著作、「ジェンダー学の最前線」(2008)

そのコンネル教授招聘時に、性的マイノリティの学生たちとコラボできないかと思いました。コンネル教授の特別講演会のポスターを学生たちに作ってもらってはどうかと思っていたので、声をかけたら、4、5人集まってきて、その中の一人が、松岡宗嗣さん(現:一般社団法人fair 代表理事)でした。その後ALLY WEEKを一緒にやることになるのですが、松岡さんはジェンダーやセクシュアリティをめぐる社会問題について意識が高く、とても素直なところが印象的な学生でした。

その後彼が、LGBT成人式にでるということで見に行きました。その式がとても良いイベントで大学でも何かやろうよ、ということで出てきたアイデアがファッションショーでした。

ーーファッションショー?

ファッションって問題もありますが、新しい何かを生み出し、訴える力を秘めているからいいんじゃない、という話をしました。

ーー問題もあるというのはどういうことでしょうか?
既存の男らしさ、女らしさを揺さぶることもあるものの、それを強化し、そのようなバイナリーによって特徴づけられた社会構造を再生産してきた部分もあります。むしろその方が強かったかもしれません。

ハイファッションの世界では、男性服だったスーツを女性服に導入したり(アルマーニ)、女性服の典型であるスカートを男性服に取り入れる(マーク・ジェイコブス等)、あるいは近年のジェンダーレスファッションの広がりや、性別にとらわれないモデルの起用(トランスジェンダーモデルの起用、女性モデルのメンズコレクションの起用、その逆で男性モデルのレディーズコレクションへの起用など)、新しい実験的な動きが起きてきましたが、それでもまだ男の人のスカート着用のハードルは高かったり、従来の規範的なジェンダー観の方が強いのではないでしょうか。

同時に、女性=女性的、男性=男性的という枠組みを揺さぶるには、あるものを男性的あるいは女性的と規定するロジックそのものを問うことも重要なのではないかと考えました。

そのような問題意識から、MEIJI ALLY WEEKのファッションショーでは、男性服・女性服の男性的あるいは女性的とされるモチーフを単に交換するのではなく、男性服・女性服、様々な要素を男性的あるいは女性的なものとしてカテゴライズするバイナリー的なものを脱構築するようなファッションを作って提示しようというコンセプトで「Gender Gradation Fashion Show」が企画されました。

それが最終的には、「ファッションショーだけでなく、1週間をつかって啓発をするウィークイベントができないか」という話になり、アライウィークとなりました。実はアライウィークにはロール・モデルがありました。アメリカのニューヨーク大学(NYU)なのですが、そこが既にALLY WEEKを何年もやっていたんですね。1週間かけていろんな教室でいろんなイベント(例えば映画上映会)をするという内容のものでした。

それを参考にしながら、明治大学のアライウィークでは、複数のイベントから成る1週間(実際には5日間)のキャンペーンとし、週の最初にまず、「知る」、そしてキャンペーンが終わるまでに「考えて」、「行動する」 という3ステップから成る企画として行いました。本学の学生を中心に延べ1000人ほどが参加しましたが、意識と行動を変えて最終的にはSNSで発信をしてもらうようなキャンペーンを展開したのです。そして最終日の前の日にファッションショーを行いました。

ーーこのファッションショー、私はテレビ(注:2018年、NHK大阪「かんさい熱視線」にて紹介)でちらっと見ただけなのですが性を「グラデーション」としてとらえたというところに意義があったと思います。

(乙女塾のメンバーもかかわった)「ファッションポジウム」も素晴らしい取り組みで鳥肌が立ちました。あれは男女を分断している境界を越境するというものだったと記憶しています。男性が女性的なものを身に着けるということにはスティグマが伴う現状がありますから、とても意味のあるイベントだったと思います。

明治大学で行なったファッションショーでは、やや違った切り口で、つまりジェンダーの境界を越えるというよりは、その境界を生み出し、維持している構造そのものを問い直そうということでコンセプトを練りました。実際のショーでは、4つのシーンごとに4作品(衣装としては5つ)が、文化学園大学の学生だったトランスジェンダーのデザイナーによって制作されました。

1.若者
モデルはポリセクシュアルの男子学生でしたが、襟元に花がついています。(今はメンズでも花を採用しているものが出てきていますが)従来、花は女性らしいと思われてきました。でも、花を美しいと思う気持ちにジェンダーやセクシュアリティは関係がないという思いを込めて、あえて男性服に花を取り入れています。

2.結婚
ウェディングですが、このモデル2人は性別・性的指向はばらばらで、一般的に思われている「いわゆる男女」ではありません。どちらもパンツスタイルで、男性の同性婚に見えるかもしれませんが、モデルはゲイ男性とXジェンダーです。また、男性の肌見せが「遊び」として取り入れられています。

3.妊娠
このファションショーのデザイナー自身なのですが、FtMのモデルがメンズ・マタニティウェアで歩きました。

日本だと性別を変更するには、生殖機能の放棄が法的に求められています。ただ、モデル・デザイナーとしては、「男」になりたいと心底思うけど、将来子どもを産みたいと思うかもしれない、その可能性を大切にしたいという思いもあった。それで「男」として出産し、身に着けるカッコいいマタニティウェアを作ろうということで、「メンズ・マタニティウェア」というポリティカルな作品になりました。

この作品では、腹部が膨らみ、そこに胎児がいるのですが、胎児は特殊メイクで作られ、LEDライトがまきつけられています。お腹の膨らみには透明な素材を使っており、胎児が透けて見えるようになっています。洋服自体はダンディなスーツ、黒のパンツスタイルになっています。
FtMであっても子どもを作る可能性を否定しないこと、日本の現在の法制度を批判する意味合いになっています。

4.召される
その次の作品は、学生からの依頼で私がモデルをやったんですけれども、性別を超越して「召される」イメージのドレスでした。白いドレスなのですが、これは光の三原色を掛け合わせると白になる(加法混色)からです。すべての色を足すと白だということで、このアライウィークのキャンペーンカラーも白でした。

LEDライトがついていて、音楽にあわせて様々な色に変化するというデジタルなデザインになっていました。

MEIJI ALLY WEEK2015では、性的マイノリティのスタッフも白を身につけていました。そこで気付いたのです。性的マイノリティも含めて、誰もが誰かのALLYになれるんだと。


2015年は、「LGBT」という言葉が主流メディアでしばしば使われるようになった年ですが、この言葉には問題もあります。LGBTとそれ以外の人たちとの分断が強まってしまうんじゃないか、また性的マイノリティの中の多様性を見えにくくしてしまうのではないかと。

だからLGBT WEEKではなく、ALLY WEEKとし、誰もがアライになれる、と打ち出せたことはとても良かったと思います。

ーー近年パリコレではジェンダーレスだとかジェンダーフリーという要素が多くでてきます。

パリコレにしてもファッションポジウムにしても、一人一人が「自分」というエネルギーを放つ、という点で考えたときに、性別の境界を超えることが最終的な到達点なのかは考えなければならないことかもしれません。二つの項があって、それを入れ替えただけでは果たしてその構造自体を変えることになるのか、ということです。これは既に論じられてきたことですが、究極的なところはそこじゃないかもしれない、でもまずは自分たちの空間を作るということが必要不可欠で、その意味では、入れ替えの実践にも意味があると思います。

ーーそういっていただけると少し浮かばれます(笑)。性別のクロスオーバーと言えば、セーラー服もトレンチコートも元々は男性のものでした。最近だとスカジャンとかもです。

どちらかといえばオシャレやファッション=女性のものという位置づけがまだあるのかもしれませんね。デザイナーが男性だとしたら「男性的」とされている要素を女性に取り入れてみようかとなるのかもしれません。でもマーク・ジェイコブスがメンズのミニスカートをデザインしても、巷でそれほど広がっていないのは、男性がスカートを履くことへのスティグマがいかに強いかということ、またそれもあって男性用スカートは売れないという商業的な判断が背景にあるようにみえます。

私は、人間が「自分」として存在するとはどういうことか、研究者として関心を持っています。人間には自ら進んで「奴隷」になってしまいかねないところがあるようです。社会的にこうあるべきという考え方の奴隷であったり。奴隷意識が刷り込まれていて自分で自分を権力的な何かに差し出しかねないというか。

ーー私はパリコレブランドの洋服が好きなのですが、この間(マーク・ジェイコブス以外のとあるブランドで)メンズ巻きスカートが大幅割引になっていたのですね。メンズスカートといっても前面の片側だけあるようなもので、プロデューサー巻きみたいに使うもので大して奇抜ではない。それでも売れ残っている。人間って気にしちゃうじゃないすか。私の家には友人たちから「頭がおかしい」と言われた洋服もたくさんあるんです。だから失敗談もたくさんあって。例えば全身リック・オウエンスで決めてテレビ局と打ち合わせへ行ったら全員まさかの背広だったみたいな。

Rick Owens2021秋冬コレクションより

かつて私の授業で、アメリカからの留学生がこんなことを言ってました。「好きな男の子がいるときには、これを着たら気にいってもらえるかしらという目線で服を買おうとしていたことに気が付いた、なんかそれってどうなのかな」、「自分の好きな服を着て自分らしい自分でいる、そんな自分を好きになってくれる人がいるというのが、本当はいいんだけど」と。

トランスジェンダーということで言えば、生まれたときに男性という性別を与えられた人が後に、自分が暮らす社会では女性的とみなされてる格好をしたいという場合、どうしてそれができないのか、それが今、問題となっています。あるいは、解剖学的には「女」(雌)が持つとされる「胸」があっても、「男」として生きることができる、そんな考えのある惑星であれば、その人は「男」になりうる。あるいはそもそも男女の二つの性別という考えがない場所であれば、胸の有無に関係なく、そもそもその人が男か女かということさえ、問われないわけです。そういう世界はまだまだ想像しにくいかもしれませんが。

ーー技術は日進月歩でとても進化をしています。例えば、AIやVR、ARといった単語には可能性が無限にあるように思えます。100年前は誰も日本では洋服を着ていませんでした。ですから、100年後の日本では男女差なんて忘れられているのかもしれません。

服も素材、マテリアルなど進化しつつあります。でも結局は新しい技術、それによって生み出されたものをどう使うか、どう活かすか、服であればどう着こなすか、それも人間次第です。

今まで女性的なモチーフの洋服を着れなかった男性やMtFのような人がそれを着たい場合、それがもっとしやすい社会になったらいいと思います。何が女性的かは、特定の文化的・歴史的文脈で「女」という性別カテゴリーに付与され、それゆえに、「女性的」とみなされているに過ぎません。その意味で、それは普遍でも不変でもありません。

男性が「女性的」とされているものを追求する場合についても、個人としてはそれで一生を終えるかもしれませんが、今後、もしかしたら21世紀の終わりぐらいにはそうじゃない可能性、つまり男性性・女性性という二元論にとらわれずに外見や服装などを楽しむような動きもさらに広がっているかもしれません。

話を聞いた人:
田中洋美
明治大学情報コミュニケーション学部准教授、同ジェンダーセンター長(2019-2020)。博士(社会学)。現在はメディア、テクノロジーの社会・文化的側面について格差、ジェンダー、ダイバーシティの視点から研究。

また、現在は一般社団法人fairで代表理事を務める松岡宗嗣さんにも原稿チェック、写真提供をいただきました。ありがとうございました。

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