3月にネットで「心の性別」というキーワードが話題になりました。
よくトランスジェンダーのことを説明する際に「心は女の子」という表現をされたり、もしくは自称する人たちもいます。
果たして心に性別はあるのでしょうか?
「心の性別はあるか」乙女塾メンバーやパートナーに聞いてみた
わからないなら聞いてみようということで、乙女塾のメンバーやパートナーに直撃してみました。
かおり(乙女塾パートナー)
わたくしの考えは先に心の性別があるのだと思います。自分は「女性になりたい」女性でいるほうが落ち着くというようなものと、「男性でいたくない」という男性を嫌悪する感情があると考えています。例えば、後者の人はSRSが最優先なのではないでしょうか。
前者の人はSRSをする人もいれば、しないことを選択する人もいる。女性になりたい%と男性でいたくない%の配分で考えています。
ヤコ(乙女塾パートナー)
私は意識にある象が女だから現在の状態になりました。意識の象=心かわからないですけど、女の子になりたいではなく、なにゆえ男なのかと思っていました。
目を閉じたときに浮かぶ姿がその人の性別(姿)なんじゃないかなと思います。
ゆきくま(乙女塾パートナー)
初めに、あたしは心には性別はないと思ってます。
私の時代は「心は女の子だったんだね」などの言葉を周囲の人に言われたりし、それに合わせて「うん、そうだね」と返したり、自分の事を説明する際にそういう風に話しをした方が伝わりやすいと思って使ったりはしたことはあります。
ただ、あたし自身は ”心の性別” なんて考えたことはないし、きっと今、考えても分からないです。
そもそも ”こころ” ってなんですかね?
心がなんなのかも分からないのにその分からないもの性別なんて言われてもね~w
ただ「心は女の子」って言葉について思うのは若年MtFさんは若いうちから答えの様なもの、見本?(性同一性障害や性別違和といった言葉や症状)があったから自分のことをだれかに説明する際に「性同一性障害なんだ」って言えたから「心は女の子」なんて言葉を使わなかったのかなと思います。
上で話した「心は女の子~」のようなやり取りも「性同一性障害」という言葉が世の中に広く認知される前の話しで、最近は言われることもなくなりました。
きっと当事者が他人に自分の中にある違和感を伝える為、説明する為に生まれたのが、「心は女の子」という言葉なのかな?それと言われた人もなんとなく理解?しやすかったんだと思います。
みなみ(乙女塾パートナー)
心なんてふわふわしたものがあるわけじゃなくって、結局、脳という体の認識じゃないですか?だから、わたしは体と体の不一致だとおもってました。
脳の構造的なもの、たとえば右脳と左脳をつなぐ脳梁が女性と男性でちがっていて、それはMtFの解剖所見でも変化があったことがアメリカ当たりでは発表されてたとおもいます。そういう生物学的なものはあるかもしれない。
そしてこれはとても難しい思想上の問題ですが、「セックスはつねにすでにジェンダーである」という、ジュディス・バトラーの言葉もあります。固定されているセックスですら、ジェンダーの一部の心のように後天的に、まわりや自己の生活態度によって刷り込まれたモノであるという考え方ですが、身体性と脳の思考が連動する部分と、女性としてくらすことで、自己刷り込みする部分がかならずある。
だから、心が…体がって言うに言論的な考え方はあまり好きじゃないです。すべては身体的でかつ社会的なものだとおもいます。
NAO
この質問はよく聞かれるのですが(言動やメンタルの強さ、声が原因と自覚している)、性格や行動で心を男女に分けたがっている時点で女性はおしとやかでつつましく弱く可愛さを求める生き物という規範に基づいていると感じてしまいます。「そこから外れているあなたは何?」という。ただ、うちは親からして肝っ玉母さんで、そういう女性像がなかった!だから個人的にはそんなものは十人十色でそれとジェンダーアイデンティティーの問題は別と感じています。子供のころよくわからない時からあった根源的なものといいますか。
以上が、5人の意見でした。あなたはどう思いますか?