「100点満点を目指さない」私の生きる上での1つのルール

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私は多種多様な資格を持っています。しかし、ある時家族が同じ資格を取った時にこう言われたんです。

「同じ練習問題を解いても私の方が解けることがあるんだね」

100点満点を狙わない生き方

私は優れているから資格がたくさん受かるのではなく、100点が取れるような完全無欠の人間でもありません。

多くの人は何か勘違いをされているのですが、むしろ、何に対しても100点満点をとってやろうなんて考えて生きていません。もっと言えばそんな時間もありません。何故かというと、多くの試験やテストは前日の夜しか勉強する時間が持てないからです。

例えば、60点で合格するテストなら80点を狙います。調子が悪ければ70点、もっと悪くても60点で受かるからです。

(一方で100点をとれる才能と努力というのはとてもすごいことで、そんな人たちのことを尊敬しています)

性別違和感を100点満点に消す方法はあるのか

何故このような話をするのかと言うと、私はSNSを見ていると「100点満点」を目指す人々が多いのではないか?と日々疑問に思っているからです。

例えば、トランスジェンダーが自分自身の「身体」や「声」に違和感があり、それを変えていくことを否定はしません。実際に、私も医療から美容まであらゆる手を使っているわけです。

しかし、中には男性的だと思われる要素がもしあれば、それを1つ残らず全て消そうと頑張っている人たちがいます。しかし果たして、そこに終わりはあるのでしょうか?

私は、どう頑張っても100点満点の美少女になることはできないと思っています。それは骨も違うし、なんかオーラも違うし……。それは「諦め」かもしれないけれど、「自分自身を受け入れるスタートライン」だと思っています。だから、メイクのように裏方が向いているのかもしれませんが…。

他者に100点満点を望むことはできない

自分自身の問題であれば、それは「自己解決するか・しないか」の話です。

私が、問題に感じているのは「他人に100点満点を望んでしまう」ことです。

例えば、度々社会的に話題になるのは「トランスジェンダーを受け入れてもらうために社会を変える話」です。その活動は大事です。しかし、私は、LGBTQ+が存在することはアピールできても、トランスジェンダーが嫌いな人たちを100%考え方を変えてもらうことはできないと思っています。

反対にトランスジェンダーが嫌いな人たちにも、トランスジェンダーが好きか嫌いか、排除するか受け入れるか100、0で考えないでほしいと思っています。

世の中に100点満点の社会なんてものは存在しないけれど、一部のトランスジェンダーや、また、トランスジェンダーを排除しようとするフェミニストの方達は「理想郷」として“それ”を望んでいるように思えます。1人1人の理想は違うのに、あたかもそれが全体として正しいと考えているように受け取れるのです。

私は彼女らがいう“それ”が実現できたとしても、松平定信じゃないけれど「清い白河」が継続できるとも思えません。また、違う100点満点でない何かを見つけてそれを排除するか、ルールが厳格になるか、そんなものでしょう。

私にできるのは人々の間を通り抜けるようにススッと生き抜いていくことで、それには程よい“いい加減さ”が必要だと思っています。

100点を目指さない=現状を受け入れるではない

ただ、100点を目指さない=現状でいいや、ではありません。努力はするけれど程よくストイックに程よく抜くときは抜く。求めるけれど、程よく求める。程よく求められる。

他者にも大きな期待をしなければ、思ったより良い反応があれば喜びに変えられるかもしれない。90点、100点になったらラッキー。

つまりは、心の持ちよう1つでもっとしたたかに生きてみないか?という提案です。

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