「政治家」よだかれんさんインタビュー LGBTQ+が政治家になることの意味。

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新宿区議会議員の「よだかれん」さんをご存じでしょうか。

トランスジェンダーであり政治家。さらには”踊る行政書士”として夜の六本木でも名を知られた存在の彼女が、政治家になったきっかけとは?その素顔に迫ります。

(取材日:2022年4月7日、インタビュワー:ふみか、NAO)
(編集部注:取材後によだかれんさんが、参議院議員選挙に立候補されることが発表されました。乙女塾では彼女を政治的に支持する意図ではなく、中立の立場としてインタビューをさせて頂きました)

ーートランスジェンダーやLGBTQ+の方が政界へ進出されている例ですと、上川あやさんが有名です。実際にはどのような状況なのでしょうか?
よだかれん先生(以下、略) 上川さんは偉大な存在です。新宿区議会には私以外にもトランスジェンダー女性の議員がいらっしゃいます。全国では現在13名のLGBTQ+であることを公言している議員がいます。LGBT自治体議員連盟というものもあり、そこでは当事者議員とアライ(ALLY)議員が加盟し、情報交換や研修が行われています。

ーー「ちいさき声をすくいあげる会」の代表をされています。トランスジェンダーとして政治家を志した理由は「性的マイノリティならではの悩み」を経験したゆえのことからなのでしょうか?
そうではありません。私は愛知県で生まれて沖縄で育ったのですが、そこでは本土から来た私は「ナイチャー」と呼ばれて「マイノリティ」でした。

不発弾の処理のために学校がお休みになるなどの経験を通して戦争の爪痕を感じたり、日の丸・君が代問題(当時、卒業式などで国旗掲揚・国歌斉唱をおこなうべきかどうかで揺れた問題)に揺れる環境で思春期を過ごしたことで、戦争と平和・国家と国民ということが非常に気になる大人へと成長しました。ですので、沖縄で過ごした5年間が人としての・政治家としての土台となっています。

私はそこでは「本土から来たマイノリティ」でしたが、日本の中では「沖縄の人」がマイノリティで、「本土出身の自分」はマジョリティですよね。マイノリティでもありマジョリティでもあるという自覚を持てたことは幸運だったと思います。

誰もがマイノリティでありマジョリティでもあるのです。

ーー元から政治家を志望されていたのですね。「ダンサーや芸能界」という言葉と「政治家」という言葉がなかなか結び付かないイメージがありますが、どのような経歴だったのでしょうか?

私は最初自分のことをLGBTQ+のうちゲイだと思っていて、進学のために上京し、卒業後は芸能界での成功を目指して活動していました。

俳優・ミュージカル俳優を経て『六本木金魚』というショーパブで男性ダンサーとして働き出しました。そこで自分はゲイではなくトランスジェンダーだということを同僚に指摘されて、“依田花蓮(よだかれん)”という女性としての人生を始めることになるわけです。

ホルモン療法・豊胸手術・性別適合手術を終えて、家庭裁判所に申立てをして名前と性別の変更をして『六本木金魚』を卒業し、今度は女性として、改めて芸能界にチャレンジしました。ところが、母が体調を崩して入院する際に身元保証人になれなかったんですね。定職がないと。

40手前にもなって親の入院保証人になれないなんてと、己を恥じました。そこで社会的信用を得るため会社員になろうとハローワークへ行ったのですが、どこも私を採用してくれないんです。担当の方から「あなたみたいな人は独立開業出来る資格を取るといいかも知れないですね」と言われたことを機に行政書士の勉強をして約2年で合格することができました。

ーーそれで行政書士になるのがすごすぎるんですが…。しかし、行政書士は「固い職業」の印象があります。そこは大丈夫だったのでしょうか?
行政書士ってみなさん多様なバックグラウンドをお持ちです。

『六本木香和(かぐわ)』というショーパブで踊りながら勉強して行政書士試験に合格しました。私の場合試験勉強していることを公言していたので、合格したら仕事を依頼するねとたくさんのお客様からお声がけを頂いていました。恵まれていますよね。飲食店営業許可、深夜までお酒を出すお店に必要な届出、外国の方の在留許可申請などなど。実際、合格後たくさんのお仕事を頂いて大変ありがたかったです。

他の行政書士の皆さん同じようにそれまでのバックグラウンドを活かしながら業務を続ける方が多いなという印象です。

行政書士会には多様性を受け容れる土壌が自然と存在しているんだなと感じています。そのせいかLGBTQ+の先生方も沢山いらっしゃいますよ。

ーーダンサーのお仕事はどうされたのでしょうか?
政治家になるまでは、「六本木香和」がWキャスト制を取っていたため週の半分程度の出勤で良かったこともあり「夜はダンサー」「昼は行政書士」と二足の草鞋を履いていました。

ーートランスジェンダーの問題として就労が困難で、夜の商売が受け皿になっていることを指摘する声があります。

私自身、行政書士になったからダンサーをやめるという考えはありませんでした。踊ることが好きでしたし、六本木のショーパブは日本中・世界中からお客様がいらっしゃる有名店でやりがいもありました。

ただ、どうしても若くて可愛い子の方がチップが多いなど、人気商売ですから悔しいことをたくさん経験しました。そうした悔しいことや辛い経験こそ美容液にして、より強くより美しくなってきたつもりです。今の場所で悔しい思いをしている方は、その思いを美容液にして、ともかく続けることを意識してほしいです。

ーーそこから政治家として出馬に至るには何かきっかけがあったのでしょうか?
ショーパブ時代に「花蓮」という名前から、台湾の花蓮市を連想される方が多くてそれで旅行したのがきっかけです。

花蓮市って台湾統治時代に日本人が最初に入植した土地なのだそうです。いまでも統治時代の名残で日本語を話せるご高齢者がいらっしゃって、そうした方々が日本人が残していった日本式家屋などで観光ガイドのボランティアをされています。日本から話を聞きに来てくれたということでとても喜んでくれて、その方に行くようにすすめられたのが松園別館でした。

実は第二次世界大戦のとき、花蓮市からたくさんの特攻隊員が沖縄へ飛び立っていたのです。その特攻隊員が特攻前夜に天皇からのお神酒を頂く最後の晩餐が行われていたのが、松園別館。小高い丘の上にあり、眼下に花蓮港、その向こうに水平線、その向こうに沖縄があるという立地です。

そこにたって、はるか彼方の沖縄を見たときに運命を感じたんです。沖縄返還の年に生まれた私が青春時代を沖縄で過ごし、男性から女性に生まれ変わって「花蓮」という名前となり、多くの方に教えられて花蓮市にやって来て、統治時代の名残で日本語を話すお爺さんにいざなわれて、松園別館にたどり着いた。

「私は特攻隊員の生まれ変わりなんだ」「世界平和の役に立てと言われているんだ」という使命をビビビッと感じたんです。

そんな思いを抱いて帰国すると、ある政党から、近く行われることになった衆院選に立候補しないかと留守番電話にメッセージが入っていました。

ーー運命ですね。

実はその少し前に、自分と異なる考えも勉強してみようと、ある政治塾に1日だけ参加したことがあったのです。そこで目を付けて下さったんですね。政治的な考えが異なる政党ですからお断りはしたものの、大きな自信と、花蓮市で悟ったことが間違いないという確信を得ました。そこで「六本木香和」を卒業し、本格的に政治や選挙の勉強を始めました。

最初は国会議員を目指していたのですが、自分が住む新宿区でデモ規制に繋がる「公園の使用許可基準の見直し」がなされることが大きなニュースとなりました。自分が暮らす街でおかしいと思うことが行われようとしているのに黙っていられず、街に立って区民の皆さんにこの問題を問いかけました。

元々、行政書士会は区議会や国会へのロビー活動(要望活動)が盛んなので、議員と交流する機会が多いんです。「六本木香和」のお客様には議員さんもいらっしゃいましたし、今思うと、政治家や政界が他の皆さんよりは身近な存在だったこともあって動き出しやすい環境に身を置いていたのかも知れません。

ーー行政書士業務の中で政治とのつながりも出てきたのですね。区議会議員になるまでの経緯をもう少し詳しくお聞かせ下さい

政治や選挙の勉強を進める中で、「パリテ・アカデミー」という女性政治家を増やすための活動をしている政治塾と出会いました。その中で国会議員だけが政治家ではないことや地方自治の大切さを学びましたね。また、講義の中でスピーチの訓練もするのですが、その中で私と新宿区の親和性の高さを実感するような機会もありました。

そうした流れの中で、先ほどお話したデモ規制について街中でお話する中でしばらく先に新宿区議会議員選挙があることがわかったので、「よし!新宿で選挙に出て、デモ規制について訴えよう」と決心をしました。

ーーそれで当選してしまうの所が行政書士の時と同じく素晴らしいですよね。次回は実際に仕事内容や政治についてお聞かせください。ありがとうございました!
(続く)

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