インターネット以前、女装やトランスジェンダーはどうやって出会っていた?

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前回は、三橋順子先生に女装のお店の歴史をお聞きしました。

1990 年代まで、女装のお店は、新宿三丁目やゴールデン街を中心に展開していて、新宿二丁目のゲイタウンとは棲み分けていたそうです。

その頃は「女装は男に尽くすもの」という文化がまだあったこと、女性的な社会規範の投影として、おいしいご飯が作れること、床上手であることが、女装者の評価になっていたこともうかがいました。

では、当時の女装者やトランスジェンダーはどうやって仲間を見つけ、どうやって技術を磨いていったのでしょうか?

順子先生に再びお話を聞きました。

(取材日:2022年12月、聞き手:NAO、みなみ)

ーー(乙女塾編集部、以下略)私が1990 年代後半にインターネットを使って調べたことってトランスジェンダーや女装というワードだったんですよ。その中で三橋順子先生のホームページもお見掛けして。当時は、それを見るだけで何も行動を起こせず臆病者だったのですが、インターネットというものはとにかくすごいな、これは歴史が変わるなと毎日夜になるとパソコンへへばりついてました。

(三橋順子先生、以下略)インターネットの出現で、女装の世界は、それはもう激変しました。インターネットが普及する前は、電話回線を使って通信をする「パソコン通信(BBS)」の時代でした
1990年代半ばはパソコン通信の全盛期です。

女装系のパソコン通信としては、1990 年に、東京の神名(じんな)龍子さん主宰の「EON」と、大阪の白鳥美香さん主宰の「スワンの夢」がほぼ時を同じくして立ち上がり
ます。女装系のパソコン通信は、ゲイ系のそれより早く、ずっと活発でした。

パソコン通信を通じて(オンラインで)仲良くなると、オフラインで実際に会いましょうという流れになります。それが「オフ会」です。東京の場合、そのオフ会の会場として、新宿の女装系のお店を貸し切るわけです。パソコン通信を通じて形成された「電脳女装世界」の現実空間の受け皿に新宿の女装系のお店がなるとことで、二つの世界がつながって、どちらも活性化していく。そうした好循環が生まれたのが、1990 年代中頃でした。

ほぼ同時期に大阪でも同じような動きがあったと思います。

ーーパソコン通信はお金もかかるし、機器を買ってきてセッティングするのも面倒な印象がありました。当時オタク系アイドルだった千葉麗子さんの写真が写っている機械を買ってきたのですがあんまりやらずにインターネット時代を迎えたのを覚えています。インターネットは接続が簡単ですよね。

たしかにパソコン通信は、現在の感覚的には費用が掛かりました。セッティングも簡単ではありません。私は、先輩の女装者のお古のパソコンとモデムを10万円で譲ってもらい、自宅に来てもらって、セッテイングしてもらい、使い方を教わりました。

パソコン通信の大きな特徴は、センター機能があるという点です。情報的にも人脈的にも求心力がありました。EON の場合、シスオペ(システム・オペレーター)の神名龍子さんとサブ・オペの吉岡純子さんを中心にまとまっていました。私はEONの中の1つのブランチ「Club Fake Lady(CFL)」の管理者(シグオペ)だったのですが、もっぱらそこに出入りする人もいました。まあ。派閥と言えば、派閥ですね。


「Club Fake Lady」のオフ会(1997年1月、会場は新宿3丁目「梨紗」)

最大派閥(笑)でも、CFL は「来る者拒まず、去る者追わず」が基本でしたから、排他的ではなかったはずです。だからこそ、後に「トランス世界のフリーメイソン」と呼ばれる人脈を作れたわけで。

インターネットの普及で、情報の流通量は格段に多くなりましたが、センター機能がなくなり拡散的になり、求心力は失われました。それがパソコン通信とインターネットの一番の違いだと思います。

1990年代中頃から後半という時代、バブルはもう崩壊していましたが、まだ余韻は残っていて、社会全体、人もお金も、現在よりずっと動いていて、今から思うと良い時代でした。そうした時代に歌舞伎町の夜の「女」を経験できて、いろいろ面白かったです。


これから出勤(1997年12月)

ーー当時、掲示板があるのはわかるのですが、そもそも当時の人たちはアイテムの調達をどうされていたのでしょうか?

今のように発達はしていませんが、当時も通販はありました。「エリザベス」の通販は、ウィッグから靴まで、女装用品は一通り、通販で買えました。「足元を見る」値段で高かったし、センス良くなかったですが。あとは、地元のスーパーで、他の商品に紛れて化粧品を買うとか。

自分でメイクができるようになり、外出するようになれば、買い物もできるようになります。

最初は、恐る恐るですけど、じきに慣れます。新宿だと丸井や伊勢丹のトールサイズのコーナー、1階の化粧品売り場などは、以前から、新宿のお店に勤めるニューハーフさんが来店していたので、 そういう(女装の) お客がいるのはわかっているのです。だから、“普通に”客扱いしてくれました。

靴は、今なくなっちゃったけど、新宿駅東口の斜め向かいに「ワシントン靴店・新宿店」があって、そこのL サイズコーナーが便利でした。それと、小滝橋通りにある大きなサイズの靴専門の「TEN」もニューハーフ御用達でした。


大きな靴専門店TENは現在も人気

買い物へ行くと、その辺りの飲食店でお茶したり、ご飯を食べたりするようになります。それも同様で、店の方が、“そういう”お客さんが来ることを知っているので、なにも問題はおこらないわけです。新宿という街は、そういう街なのですよ。「多様性」なんて、LGBTブームの今に始まった話じゃんないのです。

ーーそう言ったことを教えてもらえる先輩に会うのってめっちゃハードルが高いと思うんですよ。それは今も昔もリアルで得ないと手に入らない情報というのがあるわけではないですか。

たとえば、新宿の女装のお店の情報なんて、ほとんど流通してないわけです。1990 年代の新宿女装世界で知らない人はいないと言われた「ジュネの歌姫」中山麻衣子さんは、ゴールデン街のどこかに女装の店があることをスポーツ新聞の小さな記事か何かで読んで、ボーナスの札束を懐に入れて、ゴールデン街の端から順々に「こういう店を知らないか?」と飲んで回ったそうです。もちろん、男姿で。

で、運良く10 軒目くらい、つまり10 万円近く使ったところで、「それなら花園5 番街に『ジュネ』って店があるよ」と教えてもらって、やっと『ジュネ』にたどり着いたという話があります。たぶん、1990年前後のことです。

ーー逆に言えば、アマチュアの女装雑誌などはその役割は果たさなかったのでしょうか?

1980年代からあった女装雑誌は、『くいーん』ですが、初期の頃は新宿のお店情報も載っていました。ところが、ある時、『くいーん』の母体の「エリザベス会館」と新宿の女装世界の関係が極端に悪化し、新宿のお店情報はいっさい載らなくなりました。大阪や名古屋のお店の広告は載っているのに(笑)。

1990 年代の『ひまわり』は、新宿のお店情報を積極的に載せていましたが、そもそも『ひまわり』は流通が限られていて手に入れるのが簡単ではありませんでした。

ーー『ひまわり』は後年ヤフオクで買って勉強のために読んだのですが、少し同人誌的な雰囲気も感じました。

基本的に、キャンディ・ミルキィさんとその仲間の同人誌ですから、キャンディさんとコネクションがないと、なかなか手に入りません。キャンディさんが、あの格好でバイクに乗って配達していたのですから。
 
パソコン通信の前は、「文通ブーム」の時代でした。『くいーん』は「アマチュア女装交際誌」と称していたように、文通雑誌としての機能をもっていました。一冊の後ろ3分の1くらいが「文通コーナー」で、同好の女装者や女装者好きの男性と、初回は編集部経由で手紙を回送してもらうシステムでした。それで気に入れば、2回目以降は直接、手紙をやりとりするわけです。エリザベス時代の親友の村田高美さんや最初の彼も、そうして知り合いました。

ーー当時、そうやって新人が先輩と出会ったとしてお店はウェルカムだったのでしょうか?ゲイなんかはゲイオンリー、ビアンなんかはビアンオンリーなお店も多いです。

女装のお店って、基本は誰にでも開かれた世界なんです。女装しない男性客も入れます。

時には、女装系の店だって、知らないで入ってくる一見さんもいます。ホステスが本物の女性じゃないと知って、驚いて逃げちゃう人もいるけど、逆になんだか居心地が良くて居着いちゃう人もいました。

私がお手伝いした歌舞伎町・区役所通り時代の『ジュネ』は、そういうお客さん、けっこういました。お客さんを送りに1階に降りた時、「お姐さんのお店、高い? いくらで飲める?」と声をかけられ、料金体系とホステスが本物の女性でないことを説明したら、付いてきて・・・、で、翌週、店に行ったら「やあ」みたいな。女性が接客する店に比べて、料金が安かったからかな。


『ジュネ』で(1999年10月)

あと、ルールがうるさくないこともありますね。女装者を馬鹿にしない、女扱いする、それだけですからね。ゲイバーみたいなセクシュアリティの縛りがないですから。

ーー要するに女装する人も、(女装しない)男の人もいるわけですよね。今の『女の子クラブ』とか今の新宿のお店へ行くと男性の姿だと女装しませんか?女装しているんですか?と聞かれることがあります。

それは料金システムが違うからです。現在の「女装クラブ」は、女装すれるとメイク料金(現在はメイクアドバイス代)が加算されますよね。だから女装を勧める。女装酒場の料金システムは逆で、男性料金の方が高いのです。

『ジュネ』は、フリードリンク&フリーカラオケで、女装者と女性は時間制限なし 4000円。女装会員は、月15000 円会費で、店付属の支度部屋(化粧・着替え・仮眠)が使えて、お店の飲み代は無料です。それに対し、男性は1時間5000円がベースで。1時間ごとに2000円加算でした。つまり、2時間で7000円、3時間で9000円です。ずっと高い。

あるとき、月に10万円近く使ってくれる男性客が、「実は女装したい、女装会員になりたい」と言い出しました。支度部屋の会費は別会計なので、店の経理上10万円が0になる大減収です。

で、薫ママに「あんたたちが、誘ったんでしょう!」と怒られました。

私たちは「料金の仕組みは知っているから、誘ったりしませんよ。もともと女装したい人だったんじゃないですか」と応じました。

結局、ママも折れて、「仕方ないわね、で、名前は何にするの?」「秋美でお願いします」ということになりました。ママがため息つきながら「名前まで考えていたのなら、本気なのかもね」と言ったのを覚えています。

ーー女装したいと思っても勇気がいりますからね。

秋美さんのように悩んだ末に言い出せた人もいれば、言い出せなかった人もいたでしょうね。あと『ジュネ』の男性客だと、この世界、それなりの容姿レベルじゃないと通用しないことはわかりますから、女装願望があっても「俺、無理」と諦めた人もいたと思います。

ーー今でもそういうケースはありますね。私が二丁目の世界から離れて 10年経ちますが当時飲みに来ていた男性のお客様が今では女装しているんだよとかトランスしているんだよ、という報告は仲間からたまに来ます。

『ジュネ』では男性で飲んでいるのに、他店で女装しているとか、当時もありましたよ。まあ、楽しければ、それでいいんじゃないですか。

ーーありがとうございました。

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